aoi shippo

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 ふわり、と、彼――何という名前だったか――の体には、やわらかい衣が着せ掛けられた。
 きらきらと光を放つ細やかな糸で織られた、上等な絹が、下着の上から、そっと彼を包む。
 ほうっと、彼は、強張っていた肩の力が抜けるような気がした。
 何か、――見失っていたものがひとつ、この手に戻ってきたような、そんな心持ちだった。
 世話人たちが、彼の周りをかいがいしく動いて、さらに衣を重ねていく。彼は、されるがままに、その身を委ねていた。

 果物のような、鮮やかな赤い色の上衣を。
 彼は、その瑞々しい色合いに、広大な自分の庭で同じ色の果実を手に取ったことを思い出した。

 青と紫の入り混じった地に、複雑な紋様が記された帯を。
 彼の脳裏には、かつて船で渡った、異国の海の水面が浮かんだ。
 そうだ、そんなこともあった―…。

 最後に、そっと手に触れさせられたものは、宝飾がちりばめられた、冠だった。
 ああ、そうか。わたしは、

 静かに、それを頭に戴く。
 はるかな昔、まだ年若い彼が位を継いだ時、そうしたように。

 王で、あったな――。
 目の前の扉が開かれ、明るい、やさしい光に満たされていく。
 年老いて、朝になると全てを忘れてしまうようになっても、その王の装束は、いつでも彼に自分を連れてきてくれた。

 わたしの“時”は、あとどれくらい残っているだろう。
 白髪を背に流しながら、彼は、ゆっくりとその先へ踏み出した。


『光る衣』
(記憶の地図)

6/17/2025, 10:21:40 AM