薄墨

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椀の中に魚が泳いでいる。
南を見つめて、ぷかぷかと生きている。

風も波も入ってこれない船中で。
深い深い水圧の中で。
ただ魚だけ、指南魚の彼だけが、水を得て、南を見つめている。

真っ暗な海底では、地上の法則は通じない。
朝か昼か夜かを知るには、時計に電波を受信しなければならない。
日にちを忘れないために、金曜日はカレーを食べなければならない。
方角を知るには、指南魚に聞かなければならない。

真っ暗な海底の中を進む船で、私は働いている。
つまり潜水艦。
私たちは海の底の底を目指して、深く海に潜り、遥か海底の海を調査している。

海底は、大抵が未知の場所だ。
磁石や磁場が狂うところもあるかもしれない。
だから、この船では、羅針盤は生きていなくてはならない。
私たちは、磁場を利用した人工の羅針盤ではなく、天然の羅針盤を使っている。

それが、この椀の中をぷかぷかと、微動だにせず南を見つめて泳ぐ、この指南魚だ。
限りなく木片に近い鱗を持ち、すべすべに磨かれた木工作品のようになめらかなこの魚は生きている。
これが指南魚。
うちの羅針盤だ。
この船が、海底を彷徨ううちに発見した、新種の魚なのである。

この魚は、なぜか南を向いて、ひたすら南に進む習性がある。
小さなプランクトンを吸い込みながら、食事と呼吸と排泄を繰り返しながら、敵から逃げながら、しかし向きは変えずにただひたすら南進しつづけるのだ。

向きを変えることはなく、泳ぐ方向を変えることができるような機能も備えていない。
極めて原始的で、不都合な体を持つ魚。指南魚。
この辺りの海底には、この指南魚がいるのだ。

かつて、まだ羅針盤もない昔、羅針盤の針は、木と磁石で作られた魚の形で、その魚は必ず南を指したらしい。
そして、それは「指南魚」と呼ばれていたそうだ。
それがいつからか、地球の磁場による自然の摂理によるものと発見されて、そうして地上には羅針盤ができたという。

だから、この新種の魚を誰からともなく、皆、「指南魚」と呼ぶようになった。
その名があつらえたようにぴったりだから。

あまりにぴったりすぎて、時々私は疑っている。
ひょっとすると、磁石による人工の指南魚が発明される前は、私たちの先祖はこの魚を捕まえて方角を知っていたのではないか、と。

そのくらい、この魚は相変わらず、真面目に、律儀に、ぴったり南を向いて、ただぷかぷかと泳いでいる。
常に磁場や迷子の危機に晒されている私たちの船には、欠かせない羅針盤だ。
私たちの船は生きている羅針盤を積んでいる。

そして、私は、私たちの命を握る羅針盤である、この指南魚の飼育員として、この船に乗っている。

指南魚の南に餌を落とし、指南魚の北側の水を入れ替える。

指南魚は、反応しない。

この魚は、本当に外部の刺激に対しての反応が鈍いのだ。
だからこの指南魚が、私を理解しているのか、認識しているのかすらも分からない。

…私は、魚が、生き物が、動物が、好きで飼育員になった。
こちらを見つめる生き物の目が、こちらに反応する生き物の動きが好きで、生き物に愛を与えて、愛を返してほしくて、飼育員になった。

愛を込めて世話をし、その分、生き物から信頼されて、愛を得る。
それが飼育というもので、お世話だと思って生きてきた。

しかし、ここでの仕事は、愛を込めれば込めるほど、無機質で頼りない。
指南魚は、本当に反応がないのだ。
彼らはこちらを見もしないし、逃げもしないし、興味を持たない。

彼らは無機質で、クソ真面目で、堅苦しい。
彼らはただ、生態に従うのみで、私たちを仲間などとは思っていない。

私たちにとっては大切な羅針盤。
彼らにとってはただの外気。
私たちと指南魚たちは、そういう関係性で。

最近、私は、自分が飼育員であるのかが分からない。
私がしていることは、まるで、仲間の世話ではなくて、道具の手入れのようではないか。
私は飼育員ではなくて…ただの羅針盤の修理士…。

指南魚の目の前に、そっと餌を落とす。
指南魚はこちらを見ない。
口を少し開けて、餌と最小限の水を吸い込んで、それだけ。
もう私がこの個体を飼育するようになって、10年も経つというのに。
この船が、海底から出られなくなって、1年が過ぎようというのに。

指南魚は、本当に私たちの理想の羅針盤だったのだろうか。

指南魚は、南を見つめている。
ひたすらに、じっと。

1/21/2025, 3:00:42 PM