ねこ

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成人式で渡された、過去の自分からの手紙。
なるだけきれいに封を開き、気持ち見覚えのある便箋を取り出す。
そこには今よりも少し幼い文字で言葉が綴られていた。

「私は“過去”の私です。
“今”であるはずの“未来”の私。

こんな病みやすい心をごめんね。
そして、これからもどうかよろしく。
私の心は、もう新しくなっているかもしれないし、他人事かもしれないけれど、本当に。
私の心を、愛してあげて。
自分心を突き離しちゃ、ダメ。
逃げるのも、傷つけるのもダメ。

もう20歳でしょ。
12歳のワガママのひとつくらい、聞き入れてよ。
改めまして、よろしくお願いします。」


_____随分とまあ、厄介なませかたをした12歳である。
この手紙を読んで、自分の性質は根本的に今と何も変わっていないらしいことを突きつけられた。

きっと当時から、未来の自分に一泡吹かせてやりたいなどと思っていたんだろう。
精神的に少しでも人より優位に立ちたいと必死になっていた記憶がある。

そのせいもあってか、私は昔からずっと自分に対して過干渉だった。
自分はこうあるべき、こうなりたい、こうなったほうがかっこいい、という思想を強く持ち、過去も未来も見境なく当てつけていた。

最後の文章はなかなかしてやられたなと悔しく思ったが、それ以外は正直言って「大人をあまり舐めるなよ」という気持ちになった。やはり何も変わってない。

8年前の時点でこんな文章を書くような人間が、8年の年月を経て、これらのひとつも達成できていないことなどあろうか。
いや、ワンチャン普通にあったかもしれない。

けれど幸い、今の私は誰よりも自分だ。
もはや、自分が何を好きとか嫌いとか、自分らしさとか、今となっては考えることもなくなった。
だってその都度自分に聞けば良いのだから、いちいち考えるようなことでもないだろう。

ただひたすら毎日を生きることが、自分を認めてあげるということに他ならない。

かわいくはない過去の自分も、今の自分ができるまでの途中経過だと思えば、まま面白い。

5/5/2025, 8:27:35 PM