「雪」
雪の降る夜。郊外のアパートの一室。四人用のテーブルに向かい合って座る二人の男がいた。
「兄さん、オレ、進学はせずに就職する」
高校三年の弟が言った。向かいに座る八つ年上の兄は、ちょうど今の弟と同じ歳の頃に両親を失い、大学進学を諦めた。その頃まだ十歳だった弟は、頭の良かった兄が進学を辞めることを決めた時の顔をよく覚えている。大切な何かを諦めた顔を。
突然に両親を失った兄弟はあまりに無力だった。親戚に二人を引き取って育てる余裕のある家庭はなく、兄は施設に入れる年齢ではなかった。二人が引き離されずに済む方法は、兄が弟を養うことだけだったのだ。両親の残した遺産は多少あれど、二人分の学費と生活費を考えると、到底充分とは言えなかった。
やりたかったことを諦めて、がむしゃらに働き自分を養ってくれる兄を一番近くで見てきた弟としては、少しでも早く就職することで、兄に自由を与えたかった。兄は事ある毎に大学には行け、勉強しろ、と言ってきていたが、弟としてはこれ以上兄へ負担をかけるのは嫌だったのだ。
「……は?」
兄は低く唸るように一言だけ声に出した。
「俺はずっと大学に進めって言ってたよな。お前もこれまでは進学するって言ってたじゃないか。」
「……ごめん。でもやっぱりこれ以上兄さんに負担をかけたくない。」
「なんで!!お前の学費は父さんたちの残してくれたお金を貯めてあるから、心配要らないって!」
「近くの大学はオレにはレベルが高すぎるし、地方で一人暮らしするとなると家賃もかかるだろ。そんなに勉強したいこともないしさ。」
弟の言葉を聞いた兄は声を荒げた。弟は一つ深呼吸をしてから、なるべく落ち着いた声で説明をする。
「オレに金が掛からなくなったら、兄さんも好きな事できるだろ。ほら、仕事辞めて大学入るとか。」
「はぁ!?なんで、今更!!俺はお前の将来を思って……!!」
「そもそもオレ、そんなに勉強好きじゃないし。兄さんが行った方が世の中のためになると思う。」
弟はずっと、兄が自分を殺して、弟のためだけに生きてきたことを憂いていた。少しでも早く自立して、兄にも自分を大切にして欲しいと思っていたのだ。それに、兄は昔から勉強が好きだったけど弟はそれほどでもない。兄に心配をかけない程度にはやってきたつもりだが、大学に入ってまで勉強したいと思えるようなことはなかった。弟が進学するよりも、頭の良い兄がした方がよっぽど世の為になるだろうとも思っていた。
「今はお前のことを話してるんだ。俺のことはいい。」
はぁっと深いため息をついた兄が、頭を冷やしてくると言ってベランダに出た。窓の向こうでタバコを吸う兄を見つめる。兄の横顔とタバコの煙の向こうに、チラチラと雪が舞っているのが見えた。
「……どうして分かってくれないんだろうな。」
1/7/2026, 4:22:31 PM