腹有詩書氣自華

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《春爛漫》

 夜風に、咲き乱れる花の香が満ちている。

 薄曇る月の光が、川面に滲んで揺らめいていた。
 仄白い桜の花が、枝に連なり、川に映り、風に舞い――まるで天地の境さえ曖昧になったかのようだ。

 「まるで、夢のようだね」

 私の言葉に、隣の人影は微笑んだ。

 「夢ならば、醒めることのないように」

 声はそよ風に溶け、髪を撫でる指先は、ひどく優しかった。

 桜吹雪の中、艶やかに、ふわりと舞う蝶を見つけた。
 光と影の狭間で、ひとひらの花弁が翅に触れる。

 ――今宵限りの、儚い舞。

 それでも蝶は、ひるむことなく宙を舞った。
 愛おしむように、恋い焦がれるように、夜闇に咲き誇る華のように。

 幾星霜を越え、幾度となく巡る春。
 だが、このひと夜、この瞬間は、二度と訪れぬもの。

 ならば、せめて――。

 私は手を伸ばし、隣の温もりを確かめる。
 繋いだ指先の向こうに、風に散る桜。
 夜を彩る薄紅の華が、舞いながら、月影に溶けていく。

(了)

3/27/2025, 10:11:22 AM