K作

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題 ルール

本が読めなくなりました。
嘘だとお思いになるでしょう、そんな馬鹿なことあるはずないと思うでしょう。でも本当なんです。
高校二年生になった時分、私は突然、本が読めなくなりました。目を失った訳でも、偶然、両目が同時に麦粒腫(モノモライ)になったわけでもありません。
⋯⋯ いえ、日本語は理解出来るのです、例えば、「平成」と書かれていれば、それは年号だと分かるのです。しかし、「平成26年10月7日、太郎は東の山へと向かった。古より残されしモノノケを倒し、世界に平和を取り戻すためである」と書かれると、途端に理解できなくなるのです。つまりは脳がバカになっていました。
それというのも神経衰弱によるものです。新たなクラスとなって、私は、新たな友人たちを信用出来なかったのです。仕方の無いことでした。けれど私には、それが、冤罪にもかかわらず与えられた、天からの罰のように思えたのです。
ご飯が食べられなくなりました。
人間不信は、私の望とはウラハラに、深い所まで来
ていたのです。しかし世間というものは、世間の敵を嫌います。私は一所懸命、敵ではないと、笑って、笑って、笑っていました(それが世間のルールだからです)。初夏に差し掛かったのをいいことに、お弁当を食べられないのを、「夏バテのせいよ」と、友人(本当に?)に笑っていました。
おそらく信頼していた家族にも、惨めな私を知られたくなくて、寂しさを隠していました。学校以外の時間は、ほとんどを涙とともに過ごしました。イジメられた訳でも、暴力に会った訳でも、何も無いのに、寂しくて、部屋で独り泣いていました。
しかし母というものは存外偉大でして、私の秘密などアッサリ見抜くのです。夏バテという言い訳は、母には通用しませんでした。ご飯を食べられない以外にも、私の異常を何かしら感じ取っていたのでしょう。
それでも私は、意地を張って話そうとしませんでした(恥ずかしい話ですが、私は、自分でナントカしなければと思い込んでいたのです、そんなはずは無いのに)。しかし母は、無理やりにでも私に口を割らせるようでした。何度も問いただされる内に、私はついに、涙とか嗚咽とかとともに、苦しみを吐き出したのです。
母は、学校を休んでもいい、と言ってくれました。けれど私には、母の本心を見抜けないはずがなく、それも少しだけ相まって、「1度休んだら、きっと元には戻れないから」と、今まで通り、学校に行くことにしました。私はそういう、変にプライドが高くて、真面目で、面倒臭いニンゲンなのです。
結局のところ、母に話したところで、現状は何も変わりませんでした。学校ではいつも、他人を信じられず、毎日毎日、友人(本当ではない)と過ごさなければならない休み時間が億劫で、早く終われと願っていました。そういう状況が、卒業まで続きました。
しかし、もしあの時、母が気づいてくれなかったら、私はおそらく、世間の言うところの、社会的脱落者となっていたのでしょう。今思えば、世間で生きることを諦めなくて良かったと思えるのです。
卒業してから半年以上経って、私はようやく、やっと、200ページの新書を読み切るまでになりました。読み終わると同時に、涙が出ました。
私は、本が読めるようになりました。



これは、私の経験をほとんどそのまま書いたものです。
本が読めなくなる、ご飯が食べられなくなる。日常の当たり前が、少しずつ欠けていって、やがて何もできなくなる。そして、友人も家族もいるのに、私はひとりぼっちなのだと盛大な勘違いをする。そんな勘違いをしたまま、自分が自分を深いところまで沈めていくんです。
歯磨きが出来ない人、お風呂に入れない人、電車に乗れない人。
どうか、世間が当たり前と決めつけていることをできない人がいたとしても、笑わないであげてください。

4/24/2023, 1:47:10 PM