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「エルンスト様、再来月のラフィル様の誕生日プレゼントを預かっていただけませんか」
 領地に一時帰宅したルーカスが、包装紙でラッピングされた箱を差し出した。
「私?いいけど、ベルンの方が預け先として優秀なんじゃないの。30分後くらいには戻ってくるよ」
 流石に誕生日プレゼントの存在は忘れないと思うが、ルーカスがこんな頼みをするのは珍しかった。
「……それはそうなんですが……中身がちょっと……」
 箱の大きさはそれほど大きくない。が、持ってみると意外とずっしりした重みを感じた。最近ではラフィルの教育係まで兼ねるようになった執事が良く思わない物、物はそれほど大きくない。何となく察しがついたエルンストは、快諾して書斎机の鍵付きの引き出しにそれをしまった。
「ラフィルが王都にいる君に頼み込んだの?」
「強いて言うならという感じでした。他の子供みたいに欲しくてたまらないというよりは、どんなものか興味はあるくらいのニュアンスです」
「ルーカスにはそういうこと言うんだ……」
 てっきりその手のものに興味がないのかと思っていたが、人並みに知りたい気持ちはあるらしい。それを自分の前ではおくびに出さないのに、ルーカスには打ち明けていたのは少しショックだったが、立場上仕方ないのかもしれない。
「ラフィル様がこのお屋敷に来て、もう5年が経ちますね」
「そうだね。最初はあなた達ケンカばっかりしてたのに、気がつけばプレゼントを送るような仲になっちゃって」
「……ラフィル様が家出した時のこと覚えていますか」
 なるべく自然に聞こうとした。
「そりゃあね。ラフィルが失踪しただけでも手一杯なのに、ルーカスは行き先もロクに言わずに追いかけるわ、挙句二人とも半日経っても見つからないわで大騒動だったんだから。ようやく見つかったと思えば、ラフィルは知恵熱で倒れて一週間寝込んだっけ」
 今度家出する時は行き先を言ってから出て行ってよ、と言うエルンストの口調に軽い。もう過去の出来事として片付いているのか、あるいは適当にかわそうとしているのか。ルーカスはシャツの裾を握り締めた。
「この領地、隣国に繋がっているんですか」

 最初に妙だなと思ったのは去年の夏、地理の授業だった。北方に広がる山脈の講義中、
(うちの領地もナーデル山脈地帯でまとめられているけど、あそこの剣針山の森の木って針葉じゃないよな……?)
 森の名前に剣や針が入っているため、何となく刺々しい印象を持っていたが、葉自体はもっと丸みがある。この長い山脈が領内で見えるのは確かだし、同じ山ということでまとめられたのだろう。元々、地方の農村地域の地形図は、調査隊の手が及んでいないことがあり、現地の領民の発言を元に学者が手を加えたってよく言われるし……。地理も植物も、学校で習う知識くらいしか知らないルーカスは、勝手に結論付けて納得した。
「帰って来た後、一人で森に行きました。行ったっていっても山菜が手に入る近場までですが、やっぱり剣針山なんて名前の割に葉は尖ってなかったです」

 次に



「エルンスト様は、ある日唐突にここの領主になるように命じられた、あんなのは貴族の嫌がらせだってルーカスが前に言ってたけど、本当はどうなんですか」


「僕があの日お世話になったのはパルオン民族という隣国に住む先住民族で、あそこに住む人たちはうちの国の言葉だけでなく、隣国の言葉や古語を話すこともできて」
 あの日の光景が思い浮かぶ。老人が妹に似た響きを持つ単語を口にしていたこと。自国の言葉が使える人がずっと自分たちのお世話をしてくれたこと。その人が子供や老人にはそれぞれ言葉を変えて話していたこと。熱で苦しげなラフィルが、病気から回復する儀式の音楽に対してうるさそうに身を捩って寝ていたこと。
「あの時の出来事をラフィル様は熱の時に見た悪夢だと思ってらっしゃいますが、それでなくともラフィル様は絶対気付きますよ」
 あんなに大変な出来事だったのに、屋敷に戻ってくれば特に思い出すことはなかった。しかし、今、鮮明に甦って来る。
「気付いたって、ラフィルは今や、農業に片足を突っ込んだ教育官泣かせだよ」
 


「ラフィルは領民を殺せないよ」
 顔を上げても、エルンストは穏やかに笑っていた。
 何か言おうとして口を開きかけたのに、いつもと変わらないエルンストの様子に真一文字に閉口した。
「ねえルーカス。その推測、誰かに話した?話に出て来た絵を描く友人は知ってるの?」
 エルンストは柔和な顔付きで、その見た目を裏切らず誰に対しても温和で優しかった。身寄りのないルーカスを拾って執事見習いにし、高慢な貴族然としていたラフィルの心を溶かした。領民に交じって農作業に従事するラフィルの今の夢は「領内の農地の発展のために農業科の大学に行くこと」だ。貴族にあるまじき行動や目標に、ベルンは難色を示したがエルンストは受け入れた。
 ラフィルは今の方がいい顔になったじゃないか。そんな尤もらしい理由を付けて、エルンストは、ラフィルの変化を好意的に認めた。
「いいえ」
 間違ってはならない。全身から汗が吹き出そうだった。
「まずはエルンスト様に伺って、答えを知りたいと思いました。友人は何も知りません」
「私の答えは一つだよ、知恵熱を出して忘れなさい」

6/6/2023, 7:53:52 AM