ミミッキュ

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"誰よりも、ずっと"

 早朝の散歩。今日は一人。
 手術後という事で、興奮して傷口が開いたりしてはいけないと思い、二、三日は一人で散歩する事にした。
「……」
 静かだ。
 早朝の住宅街が静かなのは当たり前だ。聞こえてくるのは木の葉が擦れる音と雀のさえずりくらい。ハナと散歩し始める前はこれが当たり前だった。
 ハナがいないだけでこんなにも静かなのかと、少し寂しく思いながら、ちょうど折り返しの所に来た。
 戻るか、と身を翻す。
「大我」
「お」
 向こうから、スーツ姿の青年──飛彩が片手に鞄を持ちながら歩いてきた。「おはよう」「はよ」と挨拶を交わして、横並びになって歩き出す。
「一人か」
「念の為二、三日安静」
「そうか」
 主語が無くとも成り立つ会話を交わしながら、一人ともすれ違わない住宅街を歩いていく。
「なんでここに来てんだ?」
「ハナの様子を見に行くように頼まれた」
 誰が頼んだのか、容易に想像がついて「あぁ……」と声を漏らす。
 時間にすれば一分程だろうか、お互い無言で歩く。
 聞こえてくるのは、お互いの靴音と、木の葉が擦れる音、雀の鳴き声。
 何の会話もしていないのに、ただ横並びで歩いているだけで心が満たされていく。
 ふと飛彩の顔を見る。少し顔を顰めて口を開き、静寂を切った。
「徹夜してねぇだろうな?」
 驚いた顔で「は?」と小さく漏らしながらこちらを向いた。
「惚けんじゃねぇ」
 そう言うと目の下を指さして、更に言葉を続ける。
「隠してんだろうが、薄く塗りつぶしてるだけで隠しきれてねぇぞ」
「隠せていないのか?」
「よく見たら薄ーく隈が見える」
 すると懐から、小さなスティック型の物を取り出し、差し出してきた。
「塗ってくれないか。自分ではよく分からない」
 そう言われて差し出された物を手に取る。渡されたのは化粧品で、【コンシーラー】と書かれていた。
「全く、慣れねぇもんで隠そうとすっから……」
 呆れながら蓋を開けて「こっち向け」と指示すると、静かに瞼を閉じて端正な顔を間近に向けてきた。そうするように指示したが、ドキリと心臓が跳ね、身体も小さく跳ねた。
 どう付けるのか分からないが、自然な感じに隠せればいいかと、点を打つように重ねて、指の腹で優しく伸ばしてなるべく自然に、違和感がないように馴染ませる。
 こんくらいか、と離れてコンシーラーの蓋を閉める。
「多分上手く隠せたと思う」
 ほらよ、とコンシーラーを差し出す。すると「ありがとう」と言いながら受け取り、懐に仕舞った。
「ちゃんと鏡見ながらやったか?」
 煽るように言うと、「済まない」と小さく謝った。
「あれで俺を誤魔化せると思ったら大間違いだかんな。……何年傍で顔見てきたと思ってんだよ」
 文句を言ってやる。後者は小声で尻すぼみになった。
 すると、形の整った綺麗な唇が弧を描いた。
「そうだな。ありがとう」
 またドキリと心臓が跳ねる。
 医院が見えてきたので、小走りで裏口に向かい、扉の鍵をシリンダー錠に刺して回す。ガチャリ、と錠が外れる音が聞こえると、取っ手を回して扉を開く。
「おら、入るんなら早く入れ」
 慌てるように早口で言う。少し声が裏返ったが気にしないフリをする。
「お邪魔します」
 そう言うと近付き中に入る。入ったのを確認して扉を閉めた。

4/9/2024, 2:59:22 PM