遠野 水

Open App

イレギュラー

「戻ることにしたのよ」……
うつむいた移住組み最年長の里美は言った
「横浜に?」
「そう」……
秋帆が気乗りのしない移住に、ここがどんなに素晴らしいかを語って聞かせていたのは他でもない里美だった「もう主人も私も両親がいないし思い切って移住を決めたけど本当に良かった」と本心だと思っていたけど意地を張っていたのか?もしかして病気になりやはり都会で治療を受けたいとか?でもそんな個人的な事情を私からは聞けない
東京から旦那の地元に移り住んでから二年の秋帆は『何か言わなくちゃ』と焦るが
唇まで出かかっている騒がしい言葉達は
我先にと言おうとする
『それは言ってはいけない言葉だよ』心の中で叱りつける
「寂しくなるな……元気でね』やっと言えた
「いつ、行くの?」
「来月……遅くなってごめん…」
まだまだ東京が大好きな未練大洪水の秋帆には言いにくかったのだろう
「今日会えて良かったよ」「何か手伝うことある?」と言う秋帆に里美は「ごめん」と泣きそうになりながらうつむいて言う
『ほんま、代わりになりたいわぁ』なんて
今軽口を言っても里美と秋帆の背中を滑って行くだけだろう
「良いなぁ、横浜か
私も東京戻りたいわ」正直な気持ちを秋帆は
左窓から見える山しか見えない、この果てには山しかないのではないかと思える景色を見ながら里美の顔を見られずに言った
移住組み…嫌でもここに住んだのは自分が決めたこと、私の人生だ
「ここが恋しくなったらおいでよ
泊めてあげる、飲みに行こ」秋帆はやっと
里美の顔を見て言えた
唇に集まった言葉達を珈琲で胃に流し込んで
から「私も東京遊びに行くからさ、またランチしよ」東京へ遊びに行く予定も余裕も無い
だけどこの時間をやり過ごすには机上の空論しか無いではないか……
里美が顔を上げた
二人は下手な作り笑いで…それでもこの別れを永遠だと分かっていても「また、会おうね」と言葉を交わした
里美は最後まで理由を話さなかった
それだけ正直で居てくれたのかも知れない
里美が横浜へ戻るのは『イレギュラーだな』と心の中で呟いた

6/26/2025, 11:01:07 AM