望月

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《光輝け、暗闇で》

 街道から少し脇に逸れて進み、草を掻き分けて漸く見える崖——の下には、月明かりも殆ど差さない。
 僅かに欠けた月は煌々と夜空に浮かんでいた筈だが、今となっては、零れた程度の月光から遥か彼方のそれを思い描くことでしか存在を感じられない。
「……抜かったな……これは」
 件の崖から落ちて数分後、状況を冷静に見られるようになってきて、今。
 旅人は、そう独りごちた。
 しかし、嘆いていても仕方がない。天と地とが逆さになっているのを、横転して地に座り、戻す。
 全身痛い。痛いが、矢張りこれも正しく把握しておくべきことだ。
 手を動かしながら全身をくまなく確かめる。
 伸び切った枝やら草やらに揉みくちゃにされた脚は、傷だらけ。腕も、腹も、とにかく全身小さな引っ掻き傷のようなものが有った。服も所々が裂けていて、血も付いているのか黒く見える。
 荷物は無事だったようで、鞄が裂けているということも無い。
 中に入れておいた物も……どうやら無事か。
「一番の問題は……これだよなぁ」
 後頭部に手をやると、ゆめりとした感触。手のひらを見れば、張り付いた血。
 頭部からの出血だ。洒落にならない。
「止血……ってどうやるんだ。くそ、やり方合ってるのか? ……いや、どのみちしっかりと手当を受けないとだな」
 もう視界がぼやけている時点で問題だ。
 時間はそう多くないだろう。死にはしないが、気絶くらいはする怪我だ。
 崖の上までは、恐らく身長の三倍程度。そこまで深くは無いが、この怪我で安心して登れるかと言われればそれは不可能。
 こんな時間に通りかかる人は……いるだろうが、果たして、崖の下にいる旅人になんぞ気が付くだろうか。
「だめだな、どうにかして気付いて貰わないと」
 声を張り上げても朝方まで保たないだろう体力の無さは、受け入る他ない。
 自己解決は諦めて、なにか目印にできないかと再び鞄を漁る。なにか……あった。
「短剣でも、光を反射くらいはするだろ」
 試しに光の差し込んでいる場所に抜き身の短剣を晒すと、眩しいくらいに反射した。
 謎に奮発して銀の短剣を選んだことが良かったのか。はたまた、殆ど使わないくせに、格好つけて手入れを怠らなかったのが功を奏したか。
 ともかく、これならしかと輝くであろう。
「問題は誰がこの光を見て、助けを求めているかわかるんだって話だ」
 血が止まっていないのか、痛いような寒いような心地がしてきた。
 できうる限り落ちた方とは反対側の崖に沿って座り込み、腕を一番高い所まで伸ばして、短剣を振る。
 後は、これに誰が気付いて声を掛けてくれされすれば、それに応えるだけだ。
「頼む……誰か、気付いてくれ……!」
 短剣よ。
 光輝け、暗闇で。
 頼む。
 腕が痛くなったら交代、と何度そうしたか。
 わからなくなってきた頃に、突然、現れた。
「——いないかー! 誰かー!!」
「……ここだ、ここにいる!」
 一瞬反応が遅れて、若干掠れているのを無視して叫んだ。
 音に反射的に反応した、という具合だが、それでも複数の足音が近付いてくるのが聞こえて安堵する。
 まだ、まだ助かっていない。
「崖の下にいるのか!?」
「そうだ! 怪我をしていてッ、動けない! 誰が、引き上げてくれないか!?」
「了解した! 少し待っていてくれ、必ず助ける!!」
 なんとか声を張り上げて、そのまま。
 相手方の声に安心して、ふと、気が抜けてしまったようだった。
 気絶してしまったのだ、恐らく。
 後に聞いた話だが、彼らが近くを通った際不可解な光を見付けてくれたそう。
 そこから、位置まで探し当ててくれたのだ。
 この日が。
 命の恩人達に出会った、初めの日のことだった。

5/16/2025, 9:16:09 AM