ゆかぽんたす

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ピピピ、と左腕のデジタル時計が音を鳴らす。ああもうこんな時間か。手早く荷物をまとめ、仕事場のフロアを後にした。
職場から最寄り駅まで歩いて10分足らず。だからというわけではないけど目いっぱい残業しても電車の時間を気にしてれば帰りに間に合う。ちなみにさっきの時計の音は日付が変わったことを知らせるもの。深夜0時を過ぎたら終電が間もないため、一応知らせるように設定してある。
外に出ても、まだまだ都会の夜はそこら中に灯りが灯っていた。わりとオフィス街のここも、他のビルたちの窓には電気が点いてるのが見える。みんな、遅くまでお疲れ様なんだなぁ、と思いながらホームで電車を待っていた。そこへちょうど携帯に着信が入る。こんな時間に誰なんだろう。画面に映っていたのはまさかの、地元の幼馴染みだった。
『お。起きとった起きとった。こんばんはァ』
「何言ってんの、もう。ていうかこんな時間に何」
彼とは、月に1度くらいは連絡を取り合っている。私がこうして上京してからも気にかけてくれる優しい人。つい先週に電話したばかりだったから、特に久しぶりとも思わなかった。
『……もしかして、覚えてへんとか?嘘やろ、かなしすぎ』
「だから何が。もう電車来ちゃうから早くして」
『え、まだ仕事しとったん』
「そうだよ、毎日残業。下っぱはこれが普通なの」
『その会社ブラックなんとちゃう』
「ちゃんと残業代出てるからまだマシよ。それより何よ、こんな時間に。あ、待って電車来ちゃった」
ホームのアナウンスと共に、遠くから光が近づいて来るのが見えた。
「今から乗るから切るね」
ちょい待ち、とか聞こえたけど、一方的に通話を切り上げる。滑り込んできた電車に乗る。平日の終電はとても閑散としている。もう、この時間に帰るのも慣れたから別に驚かない。端っこの席に座ったところでまたも携帯が震えた。今度は短いからメール。開くとまたアイツからだった。

“ハッピーバースデー”

「え……うそ」
今日って、そうか。日付はさっき変わったんだった。いやそれどころか自分の誕生日すら忘れていた。まさかアイツ、これを言うためにこんな時間に電話してきたっていうの。だったらなんで、肝心なところをさっきの電話で言わないのよ。
自分の降りる駅までまだまだあるのに、居ても立っても居られなくて私は次の駅で降りてしまった。つまりもう、これで帰れなくなる。そんなことはどうでも良かった。タクシーでも何でも、どうにか帰れる術はあるだろうから。
履歴から引っ張ってきたアイツの番号をすぐさまかけ直す。
『お。着いたん?』
「あんたさ!そーゆうことは言葉で言いなさいよ、せっかくかけてきたんだから」
『えぇぇ。けど、電話切ったのはそっちやん』
「それはそうだけど、電話繋がった瞬間に言ってくれれば全然間に合ってたわよっ」
電話の向こうで、なんで俺怒られとんの、とぼやいている。それもそうだ。彼には怒られる筋合いはない。せっかく誕生日に電話してくれたのに怒鳴る私がいけない。
「あー……ごめん。なんか疲れてたんだと思う、多分」
『そりゃそうやろな。こんな時間まで働かされてたら』
「けど、まぁ、覚えててくれてありがとね。無事に歳をとりました」
ふと、ホームのガラスに映った自分の姿を見る。それはそれは嬉しそうに顔を緩ませた自分が居た。そしてその向こうには、まだ眠らない東京の夜の景色が広がっている。
『お?なんや今、笑った?変な声聞こえたで』
「ううん、なんでもない。ていうか変な声って何よ」
適当なハッピーバースデーだったけど、今の私には間違いなく心に染み渡った。そしてこの夜景を見てたら、ああこんな誕生日の迎え方もいいなぁ、なんて思ってしまった。

9/18/2023, 1:29:14 PM