川柳えむ

Open App

 ある日、起きたら、何もわからなくなっていた。
 知らない部屋。知らない人達。
 そこは病院だったらしく、医者が言うには、頭を打って一時的に記憶が失われてしまっている状態だということだった。
 親らしき人達は、その事実に悲しみ、でも生きてて良かったと、大いに喜んでくれた。
 記憶以外、生活に支障はないので自宅に戻った。もっとも、自宅かどうかも私にはわからないが。
 数日後。母親に街を案内してもらった。
 自分の通っていた小学校。駅前の商店街。小さい頃に遊んでいたという公園。
 全部新鮮で、それなのに、どこか覚えがあった。
「そういえば、この公園の先に、青い屋根のお家があったよね?」
 突然、記憶に蘇った。
 母は驚いた様子でこちらを見る。
 記憶の中の地図を頼りに、先を歩き出した。親が呼び止めるが、そんなものはお構い無しに。
 そして、その場所に辿り着いた。そこは空き地だった。
「ここはずっと空き地よ」
 後からやって来た母が言う。
 なんだ。ただの記憶違い――いや、記憶なんてないはずなのだから、思い違いか。
「ここに青い屋根の家があったのは、あなたが生まれるよりももうずっと前よ。でも、事件があって……なんで青い屋根の家のことを知っているの?」
 なぜかしっかりとこの家だけが記憶の中にある。
 でも、母が言うことが真実だとすれば、じゃあ、この記憶は一体誰のものなの?
 突然、辺りに冷たい空気が漂い始めた。


『記憶の地図』

6/16/2025, 10:47:05 PM