Mr.ChildrenのHEROという曲をご存知だろうか。
歌い出しはこう。
“例えば誰か1人の命と引き換えに世界を救えるとして
僕は誰かが名乗り出るのを待っているような男だ
愛すべきたくさんの人達が
僕を臆病者に変えてしまったんだ”
リリースされた当時小学生だった私は
この滑らかな歌い出しの詞を聞き、
ああ桜井さんは恵まれた人なんだなぁと感心した記憶がある。
私は生まれた頃から平均より少し背が低く、ぽっちゃりとした体型と、奥二重で腫れぼったい目、ぼてっとした丸い鼻、剛毛なくせっ毛を持ち合わせ、全体的に垢抜けない田舎臭い印象を寄せ集めたような子供だった。
鏡に映る自分は笑っても泣いても、
クラスの下の中あたりの顔だなぁと嫌にリアルに自己採点していたのを思い出す。
ちなみに、先程のHEROの歌い出しを私の気持ちにするとこうなる。
“例えば誰か1人の命と引き換えに世界が救えるなら
僕はとりあえず挙手してみて、「みんなが選ばれたくないなら自分でもいいですよ」と、提案してみる人間だ
愛すべき存在はたくさんいるけれど、自分の必要性を見いだせないんだよなぁ”
と、言った感じ。
当時の自分は死にたかった訳では無いけれど、
自分の価値とか意味をあんまり見いだせないなら
死んで誰かの役に立てるのなら、
それは結構妙案かも。
と考えるような子供であった。
ただ、単に自分の見た目が残念なだけでは、人はこうも自尊心を失うことはない。
原因は5つ歳上の姉だった。
すらっと細く華奢な体型に、ぱっちり二重、鼻筋の通ったくっきりした顔立ちと、つやつやのストレートな髪。私とは何もかも対照的だった。
そこに姉としてハキハキと話す物言いの強さと、
女の子特有の自分の可愛さをよく理解して両親に甘える狡猾さがある人だったのだ。
頭の回転が早い姉はいつも兄と私を
ハキハキと従わせ、言いくるめ続けていた。
5つも離れた姉に理不尽を感じる場面も多かったが
言い返せたことは1度もなく、
姉は全てを持っていて
私はなんにも持ち合わせていない。
羨ましさ半分、悔しさ半分
勝てない存在に幼少期から
せっせと心を打ち砕かれ、小学生の頃には
立派に自尊心の低い子供が出来上がっていた。
最近ね、
ヒロアカの5期が始まって喜んでいるのと同時に
ふとHEROというタイトルの歌を思い出したがために
芋づる式に出てきた昔話でした。
10/16/2022, 3:36:02 PM