いぶし銅

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勿忘草

栞の代わりに挟まっていたのは、色褪せた勿忘草だった。その花は押し花となってもなお、何より美しかった。本を読む彼女の姿は、まさに天衣無縫と言うべきか、それはそれは美しく見えた。彼女を薄目で眺めているのは、勉学に励む少年。彼は毎日、この図書館へと足を運び、勉強を口実に彼女を見ている。彼は日が暮れるまで図書館に入り浸り、閉館前に芥川を借りて、足早に出ていく。そんな平和が崩れたのは、以外にも一瞬であった。まず、彼女のルーティンとして、休館日の火曜、そしてその次の水曜は図書館を訪れない。少年はそのこともよく知っていたが、今週は違った。彼女は突然、水曜日に当館を訪れ、その次の木曜からぱたりと来館が途絶えた。少年は恐らく焦っていた。いや、恐らくというより、それは火を見るよりも明らかであった。無論、彼女がいた頃よりも勉学は疎かになり、よく泳いだ目は活字さえ追えなくなっていた。ただ私はよく知っている。彼女の行き先を。私だけはよく知っている。私は当館に図書館司書として勤めている。そして彼女の親は、自治体に勤めており、私もよく顔を合わせる。ただその親は転勤族で、ここに越してきたのも、2年ほど前のことである。その事を知らずにいた少年は、今このようにして焦っている。そして今週の水曜、ルーティン遵守の彼女が、それを破ってまで当館に来訪したのは、今週末に引っ越すためである。そのため、借りてた本を急遽返すことになったが、勿論少年は知る由もない。私は少年に近づいた。それは少年に最後通牒をするためではなく、閉館のアナウンスが聞こえていないようだったからである。少年も察しが悪い訳では無いため、彼女に会えなくなることを感じ取っていたのだろう。それからは周囲にも漏れるような音量でイヤホンをつけていた。少年に閉館を知らせると、やさぐれたかのように、不躾に荷物をまとめた。ただ、私に背を向けようとした時、先程の行いを恥じるように頭を少し下げた。私は少年のこんなところが好きだ。ふと、机に目を向けると、少年が愛用していた、勿忘草の栞があった。まだ遠くに行ってはないと思い、少年の後を追うと、泣き腫らした目で肩を揺らしていた。恋心弾けて満月の夜。文学少年ここに咲く。

2/3/2026, 7:28:03 AM