sairo

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旅館を出て、一つ伸びをする。
おいしい食事に、温泉。今回もかなり満足出来た。

さて次はどこへ行こうかと、スマホを取り出しロックを外す。
地図を開こうとして手元が狂い、メッセージアプリを開いてしまう。
舌打ちを一つして、すぐにアプリを閉じる。スマホも番号も変えた今、連絡をくれるものなど誰もいるはずがない。
そもそも待っているのは、ただ一人だけだ。

せっかくのいい気分だったのに、と少し沈んだ気持ちで当てもなく歩き出す。たまには何も見ずに、目的地も決めずに旅をするのも悪くはないだろうと、スマホをポケットの中にねじ込んだ。


現世から隔離された迷い家から抜け出して、早くも数日が過ぎた。
一寝した後のすっきりとした思考で空腹を満たしに外食し、そもままスマホを買い換え番号も新しくした。
次の日は自宅の整理をして、引き払う手続きを取った。もう戻る事はないのだから、残しておいても意味のないものだ。家具も荷物もほとんどを手放した。
その次の日に友人達への連絡を忘れていた事に気づくが、今更かと思い直す。ただでさえ連絡などほとんどしない身だ。いずれ落ち着いてからでも構わないだろう。
そして手荷物一つを持ち、屋敷の主に見つかるまでの終わりの見えない旅を始めて。

正直、少し飽きてしまっていた。

景色もいい。食事もおいしい。宿も落ち着いた雰囲気でよく眠れた。
温泉に入り心身の疲れを癒やすのも、とても悪くはないものだ。
だがやはり、一人というのがどうも落ち着かない。
迷い家の中でも一人になる事は多々あった。しかしあの屋敷はほぼ自分と同化してしまっていて、落ち着くのは当たり前だ。一人を不満に思う事はあっても、不安になる事などありはしない。

はあ、と肩を落とす。
最初の頃の、鬼事を始めた時のような高揚感はすでにない。あるのはただ早く見つけてほしいという、じれったさだけだ。
ポケット越しにスマホに触れ、早く来いと胸中で愚痴る。

もう一つの迷い家である『マヨヒガ』からのメッセージは、まだ来ない。

ふと、初めてマヨヒガからメッセージが来た時の事を思い返す。
知らない誰かからのメッセージの通知。ただ送り主の名前が『マヨイ』であったからこそ、警戒なく受け取ったメッセージを開いた。
久しぶり、から始まる懐かしい話の最後に書かれていた、おいで、の文字。
うれしかったはずであるのに、返した文字はそっけなく。行ってもいいけど、の一言だった。

どこまでも素直でないな、と自嘲する。
同時にそんな自分の態度だから、ついに愛想を尽かされてしまったのでは、と不安になった。
スマホを取り出し、ロックを解除して。
アプリを開こうとした指は、暫し迷って結局そのままスマホの電源を落とした。
まだ早い。相手にヒントを与えてはつまらない。
そう言い訳をして、今度はスマホをバッグの中に仕舞い込んだ。

「取りあえず、電車に乗ろう」

誰にでもなく呟いて、駅に向かって足を進める。バスに乗るのもいいが、しばらくはこの青空の下を歩いていたかった。
駅について電車に乗ったら、今度は気になる駅で降りればいい。
そこで気の向くままに歩いて行って、宿に泊まるのも、バスやまた電車に乗るのも良いだろう。
何せ時間も金もたくさんある。伊達に失せ物探しで稼いではいないのだ。

「早くしないと、現世に未練を残しちまうぞ」

そんな事はありえないなと思いながらも口にして、やはりないなと一人笑った。
あの夏の日以上の出会いは、この先どれだけ生きたとしても出会えるはずはない。そう断言できるほどに、迷い家との出会いは自分の中での特別なのだ。
迷い家から離れてからの一度も忘れた事はなく、だからこそ屋敷の主が自分と迷い家を同一にしようと動いていても、それもいいなとさえ思えたのだから。
だからといっておとなしく言う事を聞くのは、素直になれない自分にはどうしても出来ず。こうして迎えを待ちながら、当てもない旅を続けているのには自分ながらに呆れてしまう。
そういう性分だ。直そうにももうどうしようもない。


馬鹿だなあ、と何度も繰り返し続けた言葉を、口の中で転がして。
会いたい、と叫び出したい気持ちを飲み込んだ。



20240902 「開けないLINE」

9/3/2024, 1:21:35 AM