ルー

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 あの日の夜も、月が出ていたと思う。寒い夕方、ところどころ凍っているアスファルト。そんな悪条件の中を、俺は自転車をこいで恋する相手が住む家に向かっていた。
 相手の名前は、今井裕子。教育実習で中学校に来た、先生の卵だ。
 ただ…。『犯罪者の娘』という、オマケが付く。小学校の校長をしていた父親の貞夫が、汚職事件で世間を騒がせたのだ。
 悪いヤツのところには、悪いヤツが集まるのか。それとも…。甘い汁を吸わせて貰った連中からの、御礼なのか。保釈金が支払われたらしく、すぐに娑婆に出てきた。
 もちろん…。そんなことは、どうでも良かった。…という以前に、忘れていた。
 しかし…。俺は、その犯罪者の血筋を思い知らされることになる。

 裕子の家に着いたのは、辺りが暗くなったころ。ハンドルを握っていた手が、かなり冷たくなっていた。それでも…。勇気を出して、ドアチャイムを鳴らした。

 小さな和室に通され、ふたりきり。アポ無しの訪問だったから、慌てて暖房を入れてくれたが、暖かいとは言い難く、コタツの中で懸命に両手を擦り合わせる。
「今井先生が…、好きなんです」
 年頃の女に対して、こちらはまだガキだ。叶わね恋と分かっていても、それでも…と、精一杯自分の想いを訴えた。
「憧れなのかな?」
 諦めの言葉を俺に言わせようと言うのか、そんな言葉ではぐらかしに掛かる裕子。
 同じ言葉しか言えず、同じ言葉しか返さず、ムダな時間だけが過ぎる。
 しばらくして、裕子の母親が顔を覗かせた。冬の夜道だから、これ以上遅くなると危ない…とのことだ。
 今度会ったら、ちゃんと言わなきゃ! そう自分を奮い立たせ、あちらこちら凍っているアスファルトに注意しながら、自転車をこいで家に帰る。

 帰宅すると…。予想外のことが、待っていた。
「どこへ、行っていた? 父さん、謝ってこなきゃいけないじゃないか!」
 裕子の父親の貞夫は、俺の父親の恩師に当たるらしい。それで、お叱りの電話があったというのだ。
 俺と裕子の問題だ! そんなに、自分の顔が大事か?
 そう訴えたくても出来ずに、これでもか…というくらい、俺は殴られ続けた。

 初恋なんて、上手く叶うモノだとは思っていない。それでも、俺は勇気を出して告白した。その見返りが、この仕打ちとは…な。何故、自分の口で言ってくれない? 
 犯罪者の娘も、所詮は犯罪者なんだな。人の思いを、何の躊躇もなく踏みにじる。それも、姑息な手で。自分に都合の良い人間の言葉にしか、耳を貸してはくれない。そんな悪いヤツが教師になれるって、本当に思っているのかな?

3/8/2023, 5:19:25 AM