お題:勿忘草
世の中のルールというものは二つに大別される。破っても問題ないルールと、破ったら徹底的に後ろ指をさされるルール。壁の隅で『図書室では静かに』とひそかに主張している貼り紙は、私とスミレだけのこの空間では守らなくてもまったく問題ないルールだ。
「勿忘草って青色なんだ。見たことないなあ」
スミレは隣で本を広げてはしゃいでる。
「日本でも咲くらしいよ」
「えっ。そうなの?」
「時期は春や夏……桜とか向日葵のほうがメジャーだから、そこまで知られてないのかもね」
「いやあ、しかしこの控えめな青、ソーシのイメージぴったり」
うんうんと頷きながらスミレはいろんなものを噛み締めているようだった。
スミレの好きなアニメキャラ・ソーシの新規イラストが公開されたのが数時間前。真剣な顔でスマホを駆使して次々と検索していくスミレは、ソーシの持つ花束が勿忘草だと突き止めた。「勿忘草について調べに行こう」と意気込むスミレに、私は図書室まで引っ張られたというわけだ。
「ねえ待って。花言葉の由来の話書いてある」
本を食い入るように見ながらスミレは話しかけてくる。スマホで調べれば簡単にわかるのに、わざわざ図書室に来て本を探すなんて手間以外の何物でもない。その手間を惜しまないスミレのひた向きさを微笑ましく思う。
スミレの横顔を見つめながら私は答えた。
「勿忘草の花言葉って『私を忘れないで』だっけ」
「うん。えっとねー、川のほとりを歩いてた騎士と恋人。恋人が見つけた花を摘んだ騎士が足を滑らせて川に流された。その時『私を忘れないで』って言って騎士が花――勿忘草を投げたのが由来だってさ」
「へえ」
「これでソーシの解釈がさらに深まりそうだわ」
指で本の文字をなぞりながらスミレは真剣な眼差しを注ぐ。その指は白く細く、とても綺麗だ。
私は飽きもせずずっとスミレを眺めていた。そしてふいに、ゆっくり滑っていたはずの指が止まる。
「なんで騎士は『忘れないで』って言ったんだろうね。好きとか、他に伝えるべきことあったと思うけど」
唐突にこちらを向いたスミレにどきっとしながら、「なんでだろうね」と平静を装いつつ適当なことを口にした。
真剣な面持ちでしばし考え込んだスミレは、ぶつぶつ呟きながら答えを探っている。そして「もしかして」となにかに行き着いた。
「恋人は実は姫だったとか? 身分違いの許されない恋ってやつ。だからストレートに好きって言えなかったのかも」
「……面白い考えだね」
普段ならもう少しスミレの思索の手助けになることを言えるはずなのに、たった一言を捻り出すだけしかできない。
許されない恋。私がスミレに抱くこの気持ちもそれに大別されるんだろう。伝えたいけど伝えられない。有り余る想いを、騎士はたった一言に込めたんだろうか。
「スミレ。私のこと忘れないでね」
今の私に伝えられる精一杯を声にしてみる。
スミレは瞬いてから、まぶしいほどの笑顔を私に向けて言った。
「親友のこと忘れるわけないって」
2/3/2026, 9:02:23 AM