sairo

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朽ちた鳥居をくぐり抜ける。
一変する周囲を気にも留めず。奥へと向かい、ただ歩き続けた。
妹達の記憶を縁に、漸く辿り着ける場所。
崩れ落ちた社。枯れる事のない古木。
ぎり、と唇を噛みしめる。
男が今まで思っていた事とは、真逆の記憶を見た。だがそれは、大人になり多くを知る内に、ある程度予想はしていた事だった。
時が経つにつれて元気になっていく下の妹と、それに反するように静かに衰弱していく上の妹。
部屋の中、力なく倒れ伏していた妹の姿を、今もはっきりと思い出せる。あの時小さな違和感に部屋を訪れなければ、今頃上の妹は家から姿を消し。
おそらくはこの忌まわしい場所で、他と同じように吊られていたのだろう。

妹の記憶と違わぬ、古木。吊られた者の中によく知る顔を見て。男の目が鋭さを増す。
男達の両親が、虚ろな目をして笑っていた。

「オマエはお呼びじゃないよ」
「ムスメ達を寄越せ」
「どちらかでいい。上のムスメで構わない」
「アレは器として使い勝手が良さそうだ」

けらけら。けたけた。
耳障りな笑い声が響く。ゆらゆらと吊られながら揺れている。
その異様な光景に、けれども男は表情一つ変える事はなく。

「うるせぇよ。俺の可愛い妹をやるわけねぇだろうが」

忌々しいと吐き捨てて、足を踏み出した。





轟々と燃えさかる炎を一瞥し、男は地に横たわる両親を見下ろした。

「最初から全部分かっていたんだな」

呟く声に、答えはない。
二人の胸の傷跡が、彼らが二度と目覚める事はないと示していた。

両親は妹達の様子から、全てを悟っていたのだろう。
何も知らなかったのは、知らずに誤った選択をし続けてきたのは男の方だった。
いつかの母と妹の様子を思い出す。
眠る下の妹に上の妹が近づく事を、母は良しとしなかった。

「何をしているの!出て行きなさい!」

その言葉は全てを知る前と後で、逆の印象を男に与えた。
子供だったあの時。母は、下の妹を上の妹から守ろうとしたのだと思っていた。思っていたからこそ、部屋から出され呆然とする妹を、半ば引き摺る形で彼女の部屋に押し込めたのだ。
だが母はおそらくあの時、妹を守ろうとしたのだろう。下の妹の形代として澱みを受け入れようとしていた彼女を引き離し、澱みにその身が晒されるのを防ごうとした。
その後、祖父母の家に上の妹だけが預けられた事も、彼女の身を守るためだった。
目覚めた下の妹にそれを告げたのは、彼女が形代になってしまった事を下の妹も知っていると思っていたからだ。
大丈夫だと。目覚めたのは彼女が形代として澱みを受け入れたからではないのだと、そう伝えたかったのだろう。

「言わなきゃ、分かんねぇだろうが」

両親はただ妹達をどちらも等しく愛し、守ろうと手を尽くしてきた。
それを踏みにじったのは、男の無知さだ。
下の妹の話を聞いて、祖父母の家から上の妹を連れ戻した。
だが連れ戻さなくても、結果は変わらなかったのかもしれない。
両親は何も言わなかった。祖父母から妹の様子を聞いていたのだろう。
彼女が緩やかに澱みに浸食されていた事を。今目の前で横たわる両親の胸の傷跡と同じものが、彼女の胸にもある事を。
彼女の時は、既に止まってしまっている事を。

――助ける事が出来ないのであれば、せめて人として終わらせてあげたい。

それが両親の願いだったのだろう。
だからこそ根源を絶とうとした。
けれどもそれは叶わず。古木に吊される結果となった。

「悪ぃな。最期まで親不孝のままで」

両親の最期の願いを、叶える事は出来ない。
自嘲し、手にした木片に視線を向ける。
全て燃やす前に、古木から抜き取った核。今のままを続ける事が出来る、唯一の方法。

人として終わるのではなく。化生の元で永遠に澱みの器として吊られるのでもなく。
兄妹として、共にいられるために。

「約束だから。ずっと一緒だって、つきひが言ったんだ」

下の妹が生まれ一人になって泣く彼女が、宥める男に小指を差し出しながら願った約束。
それを言い訳にして、男はここまで来た。化生の核を手に入れるための口実を彼女のせいにした。

兄としては最低だと、分かっている。
何も知らずに妹を忌避し、約束などないものとしていたはずが、全てを知った今約束を理由に、妹の穏やかな眠りを否定して側に留めようとしているのだから。
口の端を歪めて笑う。笑っていなければ、泣いてしまいそうだった。
上の妹とはもう、約束をした幼い頃のような関係には戻れない。優しい彼女の事だ。表面上は男を慕ってくれるのだろう。それでも彼女の目に浮かぶ恐怖を消す事は出来ない。
だが下の妹は違う。
まだ何も知らないのだ。純粋に己の姉が助かる方法を信じて今も男を待っている。
全てを知ってしまった時、何を思うのかは分からない。
男と同じように、約束に縋り続けるのか。それとも両親のように終わりを願うのか。
どちらにしても、全てを知るその時までは。どうか妹達だけは以前の穏やかな関係であってほしいと、密かに願う。

「そのためなら、何にだってなってやるさ」

両親を喪った今、彼女達を守れるのは男だけだ。

ふと気づけば、炎は燃やす糧をなくして勢いを失い。
古木も吊られた者も、両親すらも灰となって空へと舞っていた。
それを見上げながら、もしもを夢想する。
吊られていた者のように逆さまに見る世界では、結果は変わっていたのだろうか。
逆しまの世界の中で、妹達は神隠しに会う事はなく。兄妹が離れてしまう事もなく。
両親と妹達と共に、今も笑っていられたのだろうか。
馬鹿らしい、と一笑する。
意味のない事だ。今のこの現実が変わる事は決してない。

「早く戻らねぇとな」

呟いて、踵を返し。
手にしていた木片を、躊躇いもなく呑み込んだ。



20241207 『逆さま』

12/7/2024, 4:21:24 PM