NoName

Open App

月が雲の隙間から闇を浮かび上がらせるように光を落とす。上空は強い風が吹き、雲を走らせ、解き、空は瞬く間に表情を変えていった。静まり返った山に影が斑に模様を作り出していく。静かである中にどこか不穏さを漂わせるその景色に一筋、鋭い光が走った。しなやか、そして力強さを持ったその閃光は山を踊るように駆け上がっていく。山頂に近付いたその瞬間、大きな咆哮が山に響き渡った。それは荒々しい獣のような、はたまた恐ろしい鬼の怒りのような、そして僅かな悲しみを含んだ響き。山の麓にある小さな集落では何事かと蝋燭の火が灯り、人々が不安のまま窓の隙間から外を伺う。しかしそれはもう二度と聞かれることは無かった。
雲が晴れた。背の高い木々の隙間を縫うように月明かりが複雑に入り組む木の根の道を照らす。そこをゆっくりと歩く人影があった。素足に草履、そこに淡く薄緑色の染みが点々と雫を落としたような形で付いている。見ればそれは大きさを増し繋がって大きな池のように濃くなりながら袴から着物、首から顔や髪にまで付いていた。右手には同じ緑に染まった刀を持ち、左手には何やら大きな物を持ちずるずると引きずるようにして運んでいる。重量のためか足取りは重く、時折大きく息を吐いて空を仰ぐ仕草をしてまた足を踏み出すことを繰り返していた。大きな物の正体は闇に隠され、月でさえ照らし出すことを拒む。山に住む獣も近付くどころか息を潜めその顔すら見せはしない。誰もいない山道を鋭く見据える男の目だけが光って見えた。
山に居着いたとされるのは大きな魑魅魍魎の類。いつしかこの山に夜入ることを集落の人々は固く禁じた。夜な夜な聞こえるどの獣とも違う恐ろしい咆哮は、次第に山から人を遠ざけ、最近では商人の足も途絶えてしまっている。しかしこの日を境にその声は聞かれなくなり、山は霧が晴れたように美しい姿を人々に見せてくれた。少しづつ人は戻り、集落の人々は山の神様を丁寧に祀り、山と共に栄えていった。
真夜中の闇の中、鋭い光が見たものは誰も知らない。

5/18/2024, 4:36:18 AM