共存と両立

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家族、友人、恋人。
その人たちとの関係を繋ぎ止める為に、我々はありとあらゆる手段を使う。

助け合い、奪い合い。

この体と、心と、知恵を使って、赤の他人と善悪の区別もつかないまま、共存、あるいは、依存している。

人とは、己の存在価値を見いだせないと生きていけない。
それは、人との関わりがなければ見つけることができない。

自分の価値は自分にしか分からないし、見つけられない。

けれど、人生にはしばしば、他人から価値を与えられることがある。

直接的な言葉と態度で、価値を伝えられることもあれば、
間接的な言葉と態度で、それが価値だと思わされることもある。

自分の価値が分からない、見つけられない人にとって、それは喉から手が出るほど価値のある答えだろう。

それで満足できるなら、それはどんなに幸せなことであろうか。

けれど、そうじゃないことがある。
他人に与えられた価値が、自分の求めていたものじゃない時。

自己が他人に求められること、認められることは重要だ。
出なければ我々は他人とコミュニケーションを取れる性質を持つ意味が無い。
善であり、悪であり、自分の存在を誰かに、世界に知らしめることには、この上ない快楽が発生する。

けれど、それが全てでは無い。
我々は、誰しもが完璧主義者だ。
ただ、完璧主義が己を追い込みすぎてしまうから、みんな5割、8割でも願いが叶っていれば、幸福を感じるようになる。

どのくらいの人間に、どのような自分を認められたいのか。

それは自分が探して、見つけだした答えか。

他人に歪められ、妥協したものではないのか。

どれか一欠片でもパズルがはまってなければ、それやがて大きな不満となって見を滅ぼすだろう。

そして、本当の価値を見出すことが出来たとしても、
他人の理解を得ることは容易ではない。

だけど、我々は地獄を見ようとも、より困難を選ぶだろう。
そして、地獄に耐えるために、それが困難であると認識するのを辞めるのだ。


9/12/2024, 10:19:04 AM