【言葉にならないもの】
まだ東の空が白む前。
ふと目を覚ますと、妻が寄り添い目を閉じていた。
呼吸は浅く、その指先はそっと俺のシャツの袖口をつまんでいる。寝言のような、いつもより小さく甘い声で彼女は俺の名を呼んだ。
(……寝た振りだな)
返事の代わりに彼女の額に唇を落とすと、俺の胸に顔を埋めて彼女が「ふふ」と小さく笑った。長い髪から覗く耳がほんのり赤く、俺は妻の狸寝入りを確信した。
結婚して一週間。
交際中に同棲はしていなかったからだろうか、朝はまだちょっと照れ臭く、互いにぎこちない。
それでいて自分の生活の中に、徐々に彼女の全てが溶け込んで混ざっていくような、穏やかで優しい、何とも言えない不思議な感覚の日々だった。
肌を重ねる事も、言葉で交わす愛情も、勿論大切だ。
けれど、同じ夜を同じ呼吸で過ごし朝を迎える事――その積み重ねこそが、夫婦である事の証のように思える。
これから先何年、何十年と俺達は朝を、他愛ない日常をこうして重ねていくのだろう。
誰に語る事もない、言葉にする必要もない二人だけの歴史を。
その幸せな予感は、夜明けの光より俺の胸を温かくしたのだった。
8/13/2025, 8:24:25 PM