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君がみた景色


話を盛る人、というのがいる。
僕の伯父がそうだった。母の兄である伯父は、見てきたことをいつも大袈裟に言う人だった。

仕事で日本中を飛び回っていた伯父は、子どもがいなかったせいか、妹の子である僕を可愛がってくれて、よく旅先の土産を抱えて遊びに来た。
けれど僕が心待ちにしていたのは土産よりも、伯父の話だった。

「すごいもの見たぞ」
伯父の語る景色は、まるで冒険譚の一場面のようだった。
北海道の岬では、巨大なトドの群れが空を横切るように崖を飛び越えていったという。
九州の港では、船を囲むように光る魚の大群がおしよせて、海面をきらめかせながらダンスしたという。
ある町の工場では、ロボットが火花を散らして戦いを繰り広げていたという。

子どもだった僕は息を呑んで伯父の話に聞き入った。世界はこんなにもワクワクすることでいっぱいなんだと胸が躍った。

父は伯父の話を面白がり、母は呆れていた。
大人になって実際に伯父の話していた場所にいけば、「こんなもんか」と思うことも多かった。
“真相“に気づくこともあった――火花を散らしたロボットのケンカ、あれは溶接作業のことだったのか、とか。
伯父は夢想家だったのだ。現実の景色を少しだけファンタジーに変換する才能があった。サービス精神旺盛な人だった伯父は、僕のために見てきた景色を特別な形に編集してくれたのだ。
そして夢想家というのは、往々にして孤独な人である。
きっといつまでも、想像の夢を呆れること無く聞いてくれる人を求めていたのかもしれない。伯父は晩年、孤独のうちに生涯を終えた。

おりしも、お盆である。
もし今この場に伯父がいたら、天国を盛大に盛って語ってくれることは想像に難くない。
虹色の湖があるだとか、天使はケチだけど神さまは意外といい奴だとか。
僕も今では立派な夢想家になった。なんたって、まだ見ぬ景色を物語にしようとしているのだから。お金にもならないのに。
もし僕に想像力の翼があるのだとしたら、それを広げてくれたのはきっと、伯父が盛りに盛って聞かせてくれた話に違いない。僕の内面に広がる景色を豊かにしてくれたんだ。

8/14/2025, 4:05:20 PM