紙ふうせん

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『狭い部屋』

私はいつもとても狭い部屋にいる。私の名前はユイ。名前をつけてくれたのはマイだ。

私達は一つの体を二人で共有している。私は実体のない意識だけの存在。
でもマイがこの世に生を受けた時から一緒に私も誕生した。

マイは明るくて学校でも学級委員長をやるくらい、はきはきしていてみんなからの人望も厚い。成績だっていい。

私はマイの中のこの狭い部屋の中で
マイと一緒に十七年間生きてきた。
なのでちゃんと十七才としての知識や感情もある。

お誕生日、友達もみんなマイに「はい、これお誕生日のプレゼント」とプレゼントを渡してくれる。

うちに帰っても夕食はマイの好きな物ばかり並び、最後はケーキも出てきて家族で「マイ、お誕生日おめでとう」と祝ってくれる。

私は夜、部屋に戻ったマイが「ユイ、ユイもお誕生日おめでとう」と小声で言ってくれる。ありがとう、と直接マイの頭の中に思考として伝える。

私に変化が訪れたのはマイに彼氏ができた時から。
同じ美術部の池谷くんだ。マイは初めて見た時から好きだったようだった。一緒に活動するようになり、池谷くんから告白されて頬を赤らめて交際する事になった時からだった。

いいな、マイは。今までもいつも狭い部屋でそう思っていたけれど私は意識だけの存在。諦めていた。

もとは一人の人間なのでマイの好きな物は私も好きな物だ。
だから池谷くんと付き合いだした時不満が一気にジェラシーになった。

本当は体の所有者は私、ユイだったかもしれないのだ。そうしたらこの狭い部屋にずっといるのはマイだったかもしれない。

外に出てみたい、とその時初めて思った。
だからマイが疲れて早く寝た夜に意識を入れ替わったのだ。

私、ユイは生まれて十七年間で今夜初めて肉体を得た。
不思議な感じだった。
いつも肉体の中に居るだけだったのに、今はこうして自由に動ける肉体をついに手に入れたのだ。

マイのパジャマを脱ぎ捨てクローゼットからマイの服を出して着てみた。
マイが以前買ってそっと引き出しにしまってある、口紅も塗ってみた。

マイは肩甲骨まである長い髪をいつもは必ずポニーテールにしている。
子供っぽくて私は嫌だったのでヘアアイロンで巻いてみたら、とても大人びた感じになった。

マイの持っているアクセサリーケースを開けてみるとどれも変な物ばかりでその中で、唯一好みのイヤリングがありそれを着けた。

バッグを持ちそっと玄関に行き、マイの靴を履き静かに外に出た。

夜の町はマイも知らないので私も初めてだった。
夜だというのに町は明るくて驚いた。
お店もやっているし昼間とは全然雰囲気が違って見える。

ファッションビルがあったので入ってみる。いろいろなお店が入っていて夜でも営業しているのでびっくりする事ばかりだった。

気がついてバッグの中のお財布を開けてみるとお小遣いとバイト代でけっこうお金が入っていた。
まずはこの趣味じゃない服装をなんとかしないと。
おしゃれなお店に入り私らしい服を選ぶ。気に入ったのでディスプレイのサンダルも買って、全身真新しい物を身に着けお店の中を見て歩く。

男の人の視線を感じる。心地よかった。

私は、ユイとして生まれて初めて自分の意志で好きな事をしている。
それがとても嬉しかった。
喉が渇いたので一軒のお店に入り、飲み物を注文し待っている間にマイのバッグからスマホを出す。
マイがいつもやっているように池谷くんに電話してみる。

しばらくすると池谷くんが入ってきた。見回しながら視線が何度も私を通りすぎるので、仕方なく手で合図するとやっと目が合い、なんだか妙にぎこちなく恐る恐るといった感じで近づいてくると私に「マイ?だよね?」と言うので、わからなかった?と言うと、「だっていつもの休みの日のデートの時と全然雰囲気が違うから」と少し戸惑った様に言う。

私は昼間でもマイの中で寝ている事が多いので、昼間休みの日に何度も池谷くんとマイがデートしてた事に気づかなかった。嫉妬を覚えた。
マイから池谷くんを奪いたい、とはっきり思った。

「マイ、夜にいつもこんな事してるの?」とおずおずと池谷くんが言う。私はとんでもない、といった表情であっけらかんと池谷くんに言った。

「まさか、初めてなの。クラスの子がマイは夜の町も知らないのって言うから、今夜は思い切ってちょっと大人っぽくして来てみたの。でも私にはやっぱり似合わないみたいだし、ドキドキしてるの」と少し自信なさげな様子を装って胸に手を当てる。

「そうなんだ、友達にそそのかされたのか。僕も少しドキドキしてるよ」と言うので「夜、出かけた事に?」と、池谷くんを覗き込むように言うと
「いや、マイがなんだか別人みたいにきれいで」
そういった池谷くんの顔がほんのり赤くなる。
「えぇ?!私が?そんな」と言って頬を両手で押さえて、目を見開き大袈裟に驚いてみせる。

池谷くんはもう私のものよ、マイ。
心の中で狭い部屋で何も知らず眠るマイに私は言う。

これからは私がマイよ。大丈夫。今まで一緒に生きてきたから全部わかるわ。

今度は、あなたがその狭い部屋で過ごすのよ。

6/4/2023, 12:17:38 PM