沈溺 つろ (シズレ)

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私の愛する人との間に、''子供''ができた。
妊娠検査薬を夫に見せたとき、今までにないくらいに一緒に喜んだ。絶対に愛情を持って育てる。
男の子でも女の子でも、どちらでも違和感が無い名前も決めた。夫もその名前を聞いて「いい名前だね」と言ってくれた。

けれど、その理想は叶わなかった。

予定日の2日前に激しい痛みが私を襲い、急遽出産することになった。満月が見える夜。
痛みが一気に増した。
医師の声が突然張り上がる。
「血圧が下がってる、輸液お願い!!」
体が震え、視界がちらつく。赤ん坊は声を上げずにいる。未来の全てが一気に押し潰された気がした。

数時間が経ち、気が付くと、違う部屋に寝ていた。
意識がままならないまま起き上がると、部屋のドアを叩く音が聞こえた。
顔を見ると医師であることがわかった。
「皆木さん…出産の件でお話があります。」と言われ、医師の話を聞いた。

「大変申し上げにくいのですが、皆木さんがご出産の際、赤ちゃんに酸素が十分に届かず、心臓が止まったあと、息を引き取りました。私たちはできる限りの処置を行いましたが…」

その言葉を聞いた瞬間、頭を鈍器で殴られた感覚になった。返事…というか、どんな言葉を言えばいいのかわからなかった。その後、何を言われたのかはどうしても思い出せない。

綺麗な雪が降っている絶望に溢れた2021年2月の冬がすぎ、2年ほど経った2023年2月のある日。

家のコピー機で紙を印刷していたときのことだ。
リビングにある、小さなテレビからこんなニュースが流れていた。

「現在、警察は南栃(みなとち)県松里(まつさと)市内で行方不明になった「六田 真桜(ろくだまお)」ちゃんの
捜索を続けています。目撃情報や手がかりがあり
次第、警察は連絡を呼びかけています。
ご覧になっている視聴者の皆さまも、些細な情報でも構いませんので、警察までご一報ください。」

「両親は凄く辛い思いをしてるんだろうなぁ…」
なんて思いながらコピーした紙をバックに詰め、
外に出る支度を進める。

今日は公園や学校の近く、住宅街を歩く。
なんだか今日は気分がいいなぁ、太陽に照らされて歩くのはとても好きだ。もしゆづちゃんが見つかったら一緒に連れてこよう、そしてあの公園で一緒に雪遊びでもしたいな。
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数日後の夕方、夫と薄い味の夕食を食べていた。
夫がかなりの頻度で食事中に水を飲む。
私の作る料理がそんなにまずいのか?
嫌いな味なら食べなければいいのに。

そんなことを思いつつもニュースを見ていた。
すると「行方不明?常野(ときの)県桜川(さくらがわ)市内にポスターが」という見出しでニュースがやっていた。淡々と部屋の中に響くアナウンサーの冷静な声。

「続いてのニュースです。常野県内の桜川市で、街中に貼られた''皆木 雪月''(みなき ゆづき)ちゃんを探していますというポスターがネット上で話題となり、多くの人が写真を投稿しています。掲示板やフェンス、公共施設のあちこちに貼られていることが確認されており、警察も注意を呼びかけています。」

音声とともにテレビにはコラ画像を組み合わせたような不気味な白黒の写真と「お願いします、ゆづちゃんを返してください。ママとパパはここにいるよ、帰ってきて。」という文章と''皆木 真菜''(みなき まな)」と手書きで印刷されていたプリントが写し出されていた。

その瞬間、水が入ったコップを持った夫から「は………?」という声が漏れた。
私は何が変なのか分からなかった。

「はぁ…早くゆづちゃんが見つかるといいなぁ。ママ、
ゆづちゃんに会いたいなぁ。パパもそう思うでしょ?」

「真菜… お前いい加減目を覚ませよ…」

「え?パパはゆづちゃんに会いたくないの?」

「雪月は……… もう…………」

「ねえ。会いたくないの?私たちの子供に。」

「雪月は…もう…2年前に居なくなっただろ…」

体全身に毒が回るような感覚になった。

「………ゆづちゃんはまだいるよ、絶対に。居なくなったけど、それは…それ…は…一時的に居ないだけで、探したらきっとゆづちゃんは居る、そうに決まってる。まだ時間はかかるかもしれないけど、いる、絶対、居なくなってない、ママとパパに会いたいって言ってるよ、昨日もゆづちゃんがね、」
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文字が掠れていて読めなくなっている。
ここは常野県内にある精神科のカルテ室。

「私の患者さん、そう。皆木 真菜さん。
酸素とか輸血とか書いてあるし、可能性としては
''常位胎盤早期剥離''とか、きっとそこら辺かなぁ…

え?なんでお母さんだけ助かったか?んー…
一般的な場合、出産時に母体と胎児が危険状態に
なったときは母体の生命が優先されるから、だと思うよ。

なんで詳しいかって?あー…実はさ、
昔助産師になりたくて勉強してたんだけど、
途中でなんか燃え尽き症候群?みたいなのになっちゃってさ(笑)

雪月くん?雪月ちゃん?…どっちなのかはわからないけど、冬の満月はきっと綺麗だろうね〜、なんて(笑)

あははっ(笑)えぇ〜、そうかなあ…
あっ、もう六田さん退勤か、うん、じゃあ!
また明日、帰り滑るから転ばないように気をつけてね。」

ん?さっきの''六田さん''って人?
あの人は六田 優華(ろくだ ゆうか)さんって方。
かれこれ3.4年くらい一緒に居る私の仲良い同僚だよ。あ、あと六田さんの娘さん、真桜ちゃんも無事見つかったっぽいし。

米倉 紬(よねくら つむぎ)、34歳、精神科で医者をやっています。いやぁ、皆木さんの日記、久しぶりに見たな〜。今はうちの病院で入院してるけど。
最初に来院したときよりかは全然元気だし、
幻聴も最近は聞いてないみたいだよ。
味もわかるようになってきてるし、心も体もかなり
良くなってるからそこは安心してね!(笑)

この世界はきっと、希望と絶望で溢れてる。
見えないところで、誰がどんな風に苦しんでいるかなんてわからないし、誰かの「普通」が、別の誰かにとっては異常に感じることもある。

私は色んな患者さんのことを見てきたけど、全く同じ苦しみをしている人なんて、一人もいなかった。
同じ病名でも、受け止め方も壊れ方も、立ち直り方も全て違う。

私のこの言葉をどんな風に解釈するかは、この物語をここまで読んでくれた、そこの優しいキミに任せるよ。

こんなこともあるんだな、くらいに思ってもらっても私は構わない。

この私、米倉 紬先生にまたどこかで会えるといいね。




※ この物語はフィクショ
※※この物語はフィクショんでス。
登場嵷ル人物名・地名・団体名蔬どは実在のも█とは関係あリませン。

1/15/2026, 1:01:41 PM