「光輝け、暗闇で」
繁華街の特に中心部にある大きなビルの入り口にはデカデカと夜の蝶たちの写真が飾ってある。しかしそのビルに足を踏み入れたからといって蝶たちに会いに行くと決めつけないでほしい。私の目当ての店はこのビルの地下2階にあるのだ。
なんて少し言い訳がましい気持ちを抱きつつ鉄製の音を立てながら階段を降りた。
重厚感のある木製のドアを開くと薄暗い照明と煙草の煙が迎えてくれる。そしてついでに顔面毛むくじゃらの熊のようなバーテンダーがむさ苦しい笑顔を向けてくる。
「久しぶりだね。作家さん。今日は脱稿日かい?」
何度も聞いているジョークなのに毎回笑ってしまう。
私に決められた脱稿日なんてあるわけないと知ってるくせに。
「いや、今日は印税が入ったからね」
私はいつものジョークを返した。
カウンターに座っていた天然パーマの男と黒髪ロングストレートの男がこちらを向いた。
「作家じゃねえか。いつぶりだあ?」
「元気にしてましたか?少し痩せました?」
私は彼らに手を振り黒髪ロングストレートの隣に座った。
「まあ毎日梅干しと米だけ食べてたからね。今書いてる小説が戦争もんなもんで」
「なるほど。ちなみにドイツじゃじゃがいもが戦時中の食べ物代表ですよ」
「良かったな作家よ。明日からポテトフライも食えるぞ」
天然パーマはガハハと笑った。
天然パーマは自称漫画家。黒髪ロングストレートは自称ピアニスト。ここは芸術家たちが集まる隠れ家バーだ。普通のバーのように見えるのに、なぜかここに辿り着くのは決まって売れない芸術家と決まっている。
お互いの素性を気にせず夢を語り明かすには持ってこいの場所だからだろう。
私はバーテンダーにペリドットを注文した。
漫画家が似合わないため息をついた。
「それにしても最近は新生だの天性の才能だのともてはやされた若手がどんどん出てきてよお。俺はもう注目される時期を逃しちまったのかと思っちまうよ」
ピアニストもゆっくりと頷く。確かに最近は高校生作家といった若いやつらの活躍が目に留まる。
自分も最近までそこに含まれると思っていたのに、いつのまにか世間から注目されるべき世代は変わっている。
このまま輝くことなく終わるのではないか、芸術家なら誰もがぶち当たる不安だろう。
いくら年齢が関係ないとか自己満足のための作品だとはいっても自分達が楽しませるべき世間はやたらと年齢と才能を気にする。
バーテンダーがカクテルを置いた。
いつもにも増して鬱々としたオーラを感じ取ったのか、「まあまあ」と明るい声を出した。
「お前らそんないじけるなよ。チャンスはいくらでもあるって」
「チャンスなんてほぼないに等しいですよ。いつだってこの世は注目されている人が輝く世界だ」
ピアニストが詩を歌うように嘆く。
バーテンダーは少し考えると、私のカクテルを大きく振りかぶって指差した。始まったぞ、と私は心の中でポップコーンを用意した。
「ペリドットはエジプトでは太陽の石と呼ばれている」
突然の芝居かかった動きにピアニストはポカンとしている。
「宝石といえばダイヤとかエメラルドとかが有名だが、アイツらは夜になるとその輝きが半減する。対してこのペリドットはあんまり有名じゃないが、月の光一筋だけでもそれはそれは太陽のように輝く。」
バーテンダーは大袈裟に腕を広げて歌い上げる。
「ダイヤやエメラルドよりも魅力的だと思わないか」
漫画家はニヤニヤとバーテンダーを見つめ、ピアニストは呆れたように笑っている。
私はレアなものを見たぞ、という心持ちでペリドットに口をつけた。それはこのバーには似合わないほど爽やかな味がした。
5/16/2025, 7:06:05 PM