善悪
個人的な感覚の話になるが、「善悪」という文字、字面といったほうがいいか、妙に並びが良いように見える。文字の上下の作りが似ていて、バランスもそっくり。2文字の距離感も絶妙。付かず離れず。まるで互いが互いを必要としているようで。
鬼平犯科帳には、様々な盗賊が登場する。が、大きく2つに分類される。本格派とそれ以外だ。
簡単に言うと本格派は盗むだけ。それ以外の方の盗賊は、惨殺を厭わぬ悪逆非道の輩だ。
悪事の限りを尽くし、流血の飛び散った千両箱を笑顔で運び出す。盗った金は大抵は遊興に充てられるが、中には変わった悪党もいる。
盗んだ金を自分のためではなく、恵まれない弱者のために遣うのだ。安い金でたらふく食べられる食堂や、ホームレスのための宿を作ったりする。強盗殺人で得た金なので褒めることはないが、それでも有り難く思うものがいることは事実だ。
鬼平曰く、悪を行う者の中にも善は存在する、のだそうだ。
人の心というのは有形無形、本人でさえ完全に捉えることのできないものだ。善と悪を完全に分けるのも、心が凪のときなら出来ようものの、時化のときでも正しい判断ができるとは限らない。
幸い、僕はまだ警察の世話になったことはないが、油断は禁物だ。悪の種が自分の心には無い、と言い切る自信はない。できれば、善の種にだけ水遣りをしていきたい。
4/26/2024, 2:08:16 PM