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[タイトル:ダミアンとジョンソン]
[お題:命が燃え尽きるまで]

 東京に雨が降った。
 粒の一つ一つが大きく、どこかぬめりけのある、鬱陶しい雨だった。オオスズメバチのダミアンが街路樹の枝に掴まったのには、そういう事情がある。
 都会の雑踏に耳を澄ませながら、ダミアンは忙しなく触覚を動かす。濡れた羽でも飛べはするが、急いではいなかったので晴れを待った。数十時間かけて、ようやくこの地にたどり着いたのだから、どうせなら気持ちよく空を飛びたかった。
 
 ダミアンが都会にやってきた理由は、以前から憧れがあったからだ。緑は茂っておらず、土の地面が少なく、聳え立つ建物は硬く、デカい。オオスズメバチにとっては、巣の作れない最悪の環境であった。しかし、そのことが逆にダミアンの興味を引いた。
「バカだな。すぐに死んじゃうよ、そんなところ」
 寝食を共にする同じ巣の仲間たちは、決まってダミアンをバカにした。
「そんなこと言ってる暇があったら、働きなよ」
 なぜって、だって働き蜂なんだから。女王蜂に尽くして、巣と種を大きくするのが、彼らの生きる理由だった。
「いいさ、おれひとりで行ってやる」
 ダミアンは笑われながら、一人巣を飛び出した。働かない働き蜂。変わり者のダミアンは、こうして都会を目指した。

 都会ではオオスズメバチの仲間を見つけることは出来なかった。キイロスズメバチや、アシナガバチは何度か見かけたが、近づくと警戒された挙句に追い返された。孤独を感じる日々も、それなりにあった。
 一方で、自分を変わり者扱いするオオスズメバチたちが居ないことには心地よさを感じていた。こうしてダミアンが都会の喧騒に紛れるうちに、あの巣の仲間たちはあくせくと働いているのだ。ただ都会に来ただけで、不思議な充実感があった。

 そんなある日、東京に雨が降った。
 こりゃ、すぐには止まないな。なんて考えながら、羽を瞬いて水滴を飛ばす。
 ブブブ、と羽音が轟いたが、人間たちに気づいた素ぶりはなかった。きっと、雨音に掻き消されてしまったのだろう。
「おや、こりゃ珍しい」
 木の下の方で、そんな声が聞こえてきた。すると、先ほどのダミアンよりも大きな音を立てて、下から一匹のアブラゼミがやってきた。
「オオスズメバチなんて、中々見ませんな」
 アブラゼミはそう言って、ダミアンの隣にとまった。ダミアンは驚いて目を丸くした。オオスズメバチである彼に、自ら近づいてくる虫を見るのは初めてだった。

 アブラゼミはジョンソンと名乗った。ジョンソンは五日前に地上に出てきたばかりらしく、彼の抜け殻はこの樹の下の方にあった。
「せっかく羽があるのだから、もっと遠くに行けばいいのに」
 ダミアンはジョンソンに言った。
 ジョンソンはよもや生後五日とは思えない落ち着きようで答えた。
「あっしらの寿命は短いんで、飛び回るよりも、音を出したいんですな」
「音を」
「羽音を」
 するとジョンソンは、ジジジ、と羽音を少し鳴らした。
 ダミアンにとって、羽音とは威嚇行為か、でなければ飛んでいれば勝手に出るものだった。
「どうして鳴らしたいんだい」
 だから、どうしても気になって、そう聞いた。するとジョンソンは少し考え込んでから、言った。
「仲間うちじゃ、もっぱら異性へのアピールですな。ただ、あっしはもはや子孫なんてどうでもいいんで、鳴らしたいから鳴らしてる、ってとこですかな」
 そしてまた、ジジジ、と鳴らす。いい音でしょう? と言うジョンソンに、ダミアンは一つ頷いた。
「よければ、ご一緒にどうですかい? あなたも中々に良い羽音をお持ちでしょう」
 そう褒められては、音を立てるのもやぶさかではない。
「じゃあ、雨が止むまで」
 ダミアンはブブブと羽音を鳴らす。それに共鳴するように、ジョンソンも羽音を立てた。さらに、呼応するように、大粒の雨がガサガサと葉を打つ。二匹の虫と、自然の雨とのセッションが、街路樹を賑やかす。
「やはり、見込んだ通り、良い音ですな」
 ジョンソンは幸せそうな声で言った。長年の夢が叶ったような、満ち足りた表情をしていた。
 そういえば、とダミアンは思う。この辺りで、他のアブラゼミを見かけなかったな、と。
「・・・・・・にしても、雨が止むまで、ですかい」 
 五分ほど鳴らし続けたところで、途端にジョンソンは羽を止めて、哀しげな表情をした。
「でしたら、後二日ほど、雨が続いてほしいもんですな」
 そして再び、ジョンソンは羽を鳴らした。
 ジジジ、と。
 その音は、ダミアンの憧れた都会の音ではない。もっと金属的で、鈍い音が、彼の想像する都会の音だった。
 ジョンソンの羽音には、命が宿っていた。命を燃やして鳴らしていた。憧れを解する稀有なオオスズメバチは、そんなアブラゼミに敬意を表して言った。
「二日くらい、言ってくれれば付き合うよ。きみはおれの友人じゃないか」
 言っておきながら、ダミアンは恥ずかしくなってそっぽを向いた。すると、ジョンソンの羽音が明らかに大きくなったので、ダミアンも負けじと音を鳴らした。

 東京の人々は、そんな二匹など知る由もなく、ただ忙しなく働くのだった。

 
 
 

9/14/2023, 1:52:46 PM