sairo

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「珍しいな。宮代《みやしろ》が調べ物なんて」

夕暮れの図書室で、資料に埋もれるようにして彼女はいた。

「先生」
「どうした?困り事か」

眉を下げか細い声を出す彼女に、言い知れぬ不安を覚えて歩み寄る。彼女の纏う雰囲気からは決して楽観視出来ぬ状況だろうと察せられたが、努めて明るく振る舞った。
さりげなく彼女の座る机の上に積み上がる書物を一瞥する。どうやらこの周辺の古い伝承などを、調べていたらしい。特に今は廃れた祭に関しての資料が多い。

「ここの歴史を調べてるのか。それほど詳しいって訳でもないが、先生も一応ここの生まれだからな。何を調べているか教えてくれれば、答えられるかもしれないな」
「先生」

不安に彷徨う目が机の上の資料を見、こちらを見る。これ以上不安がらせないようにと笑ってみせれば、彼女は少しだけ落ち着いたようだ。深く息を吐き、先生、と小さな声が呼んだ。

「例えば、ですが。見た事聞いた事のないものを、はっきりと知覚出来る事って…例えば、ですけど。そんな事はあると思いますか?」
「既視感《デジャビュ》の事か?」

彼女は静かに首を振る。泣きそうに目を伏せて、手がスカートに皺が寄るほど強く握り締められる。
机の上の資料に視線を向けた。彼女は答えが欲しい訳ではない。否定するだけに足るものが欲しかったのだろう。
吐き出した溜息を、椅子を引く音で誤魔化して。
音を立てて椅子に座り、彼女を正面から見据えた。

「宮代」
「はい、先生」

答えはするが、顔は伏せられたまま。何かを怖れる彼女を今は気にせず、語りかけた

「話せるなら聞いてやる。解決は約束出来んが、それでもいいならな」

びくり。彼女の肩が震えた。
恐る恐るといったように、彼女は顔を上げる。怯えと不安を濃く宿した眼で縋るように見つめながら、言葉を探しつつ、彼女は口を開く。

「夢を…見るんです。お祭りの夢。夜に、笛とかのお囃子が聞こえていて。提灯が並んでて。出店もあって…桜が綺麗でした。満開の桜。風に花びらが舞って。面を付けた人たちに降り注ぐみたいに…」

そこで彼女は一度口を噤む。夢の内容を思い返しているのか。視線が宙を彷徨い、何かに気づいたかのようにこちらに視線を向けず、再び語り出した。

「そう。そうだ。舞台があって、その上で面をつけた人たちが演奏したり、踊ったりして…それで。わたしは、わたしも」

かたかたと小刻みに体が震え出す。ひゅっと、呼吸が乱れていくのを見て、立ち上がり彼女の目を手で覆った。

「もういい。大体分かった。夢で見た祭が本当にあったのか、それともただの夢なのかが、知りたい訳だな」

力なく頷く彼女の目から手を離す。
変わらず怯えや不安が色濃い目をしているが、落ち着いているようだ。椅子に座り直し、彼女に視線を向けた。

「これだけ、聞かせてくれ。舞台の上の奴らは、どんな面をしてた?」
「えっと…動物、だった気がします。狐とか、狸とか。そんな感じのお面」
「人間の面はなかったか?例えば、翁。女。男」

彼女の視線が上を向く。記憶を辿るようにして、あぁ、とか細い声があがった。

「あった。気がします。確か、翁の面が。四人、舞台の隅で、見ていた」

思わず重苦しい溜息が漏れた。
肩を震わせ口を噤む彼女に、すまん、と一言添えてから、席を立ち司書室へと向かう。棚の奥、仕舞い込まれていた書物を取り出し、彼女の元へと戻った。

「何ですか、それ」
「昔滅んだ、ある村の記録だ」

封を解き、頁を捲る。目的の頁を開いて、彼女へと差し出した。

「ぁ…そんな、の」
「宮代が見たのは、これだな」

手書きで描かれた、舞台の上の神楽の様子。
そしてその隣に描かれた、小さな社の内部。その四方には翁の面が取り付けられていた。

「この村ではな、山からの恵みを受けて生きてきたんだ。恵みを受ける代わりに、春先に人間は祭を行う。集まった者の中から山は一人選び、印として黒に近い赤の花びらを授ける。そしてその印を受けた者を山へとかえす」
「かえ、す?」
「要は生け贄って事だ」

ひっ、と押し殺した悲鳴が漏れる。いっそ目を逸らしてしまえばいいだろうに。だがそれも怖ろしいのだろう。彼女は怯えながらも、その目は書物の文字を辿り続けていた。

「選ばれた者は山奥の社に連れて行かれたきり、戻る事はない。そうする事で、村は山から恵みをもらう事が出来るんだ」
「そんな…ひどい」
「仕方がないのさ。何せ昔の話だ。今よりもずっと貧しかった頃の話だ。毎年、一人を犠牲にする事で村は生き延びてこれたんだ…だが宮代の言うように、酷いと思う奴もいる。特に選ばれた者に近しかった者とかは」

頁を捲る。

「その年に選ばれた娘には、恋人がいてな。そいつがこっそりと、娘に護符を持たせたんだ。人ならざるモノから姿を、気配を隠す護符だ。恋人の言いつけを守って娘は、一晩声を上げずに社の中で過ごして。早朝、待っていた恋人と共に村を逃げ出した。娘は戻らないから、村の者は娘を山へとかえしたと思っている。だが、山はまだ娘をもらっていない…どうなったと思う?」
「どう、って…村が、滅んだ」
「最終的にはそうだな。村と山とが交わしていたのは一種の契約だ。違えれば、相当の代償が伴う…恵みを受けられず、村からは出られずに。村は静かにゆっくりと死んでいったって訳だ」
「っ、先生!」

書物を閉じながら、声を上げる彼女に視線を向ける。先ほどとは違う明らかな警戒を浮かべて、彼女は立ち上がり後退った。

「どうした?」
「なんで…なんで、そんなに詳しいんですか…?」

あぁ、と思わず声が漏れた。
確かに、少しばかり詳しく語ってしまったようだ。苦笑して、肩を竦めてみせた。

「なんでって。そりゃあ…先生はあの当時の、選ぶ側だったからなあ」

恐怖に引き攣る彼女に大丈夫だと、笑って手招いた。しかしさらに開いてしまった距離に、仕方がないかと頬を掻く。

「大丈夫だって。今はこの通り、ただの先生だし…というか、あの山のモノは皆、消えて何もいないはずなんだがな」
「……いない?」
「そう。村が滅んだって事はつまり、山の妖を認識する者がいなくなったって事だからな。人間がいなけりゃ、妖もいなくなる。影みたいなもんだって、思ってくれていい」
「でも…でも、先生、は?」

彼女が疑問に思うのも当然か。仕方がないとはいえ、あからさまに警戒を露わにする彼女に眉が下がる。

「先生はなあ、あれだ。別枠だな。村から逃げてった娘と恋人がいただろ?あの恋人に護符を渡したのが先生って訳」
「なんで。選んでるのに…意味、分からない」
「選ぶってもな。大抵は南や西の奴らが選ぶ訳で、先生は見ている方が多かったしな」

閉じた書物をもう一度開き、頁を捲る。先ほどの四方に翁の面が取り付けられた社の絵を彼女に見せ、言葉を探しながら説明を続けた。

「あの山で、恵みの代わりに一人を選んでいたのが、この翁の面らだ。東西南北、それぞれ季節があってな。人間がどの季節の恵みが欲しいかによって、その年に誰が選ぶのかが決まる。南は夏、西は秋の恵みを与えていたから、必然と奴らが選ぶのが多くなる」
「じゃ、あ。先生、は…?」
「先生はな、北の面だった。冬の恵みなんて、殆どないだろう?だからという訳でもないが、娘の恋人の望みに応えたんだよ」

暇を持て余していた故の、ほんのきまぐれだ。そのきまぐれの結果村は滅び、山の妖は消えたのは、予想もしていなかったが。
況してや村を出たあの人間によって、認識を歪められながらも己が在るなど、想像も出来なかった。

「先生」

微かな声が呼ぶ。首を傾げてみせると、彼女は泣くように瞳を揺らしこちらを見つめた。
恐怖に乱れた呼吸を整えて、徐に口を開く。

「先生は…人、なんですか?」

確かめるような、縋るような声音だった。
ゆるく首を振る。彼女が息を呑む音がやけに大きく聞こえた気がした。

「うんにゃ。先生は、妖だよ…ただ昔とちょっと変わって、とある家の守り神みたいになっちまったがな」
「それって…」
「先生の事は、取りあえずおいといて、だ」

音を立てて書物を閉じる。
彼女が立ち上がった際に落ちたのであろう、椅子に落ちた花びらを拾い上げて彼女に差し出した。
それは、黒のようにも見える赤い色をしていた。

「宮代。このままだと、おまえが見る夢に引き摺られて、あの山に連れて行かれるだろう。とっくに村は滅び、社も朽ちてなくなってしまっているが、それでもこうして選ばれている…今すぐ、選べ」
「選ぶって、何、を?」
「諦めるか、足掻くか。祭はもう始まっている。一度終わったはずの物語が、再び紡がれようとしているんだ。だから主人公である宮代は、どうするか決めなきゃなんない」

彼女の目を見て、告げる。
どこかで理解していたのだろう。彼女は怯えながらも逃げ出さず、視線を逸らす事もなく考えていた。
彼女の足が、一歩前に出る。開いた距離を縮めるように、ゆっくりと歩み寄る。
少し前とは異なる、決意を宿した眼をして彼女は口を開いた。

「私が望んだら、先生は助けてくれますか?」

静かに、はっきりとした声音。
笑って頷き、手のひらの上の花びらを握りつぶす。

「宮代が望むんならな。先生が助けてやろう」

開いた手には、花びらはすでになく。
改めて、彼女に手を差し伸べる。

その手を取り、彼女はお願いします、と頭を下げた。



20250418 『物語の始まり』

4/18/2025, 9:52:40 PM