「あっ、飛行機」
彼女が指差す先には空高くを飛ぶ
飛行機の姿があった。
ひつじ雲が浮かぶ空の合間を
飛行機雲の糸がスイスイと縫いながら飛んでいく。
「小学生の時さ、友達の間で流行っていたんだけど。両手をピースの形にして、それをこう、縦横で組んで、漢字の井戸の井って形にして、その間に飛行機を収める…」
そう言いつつ、彼女は両手の人差し指と中指でフレームを作ると、遥か上空、ひつじ雲の間を行く飛行機へ向けた。
絵描きや写真家が親指と人差し指で作る指フレームより小さいそれが、動く飛行機を器用に追っている。
その姿を見ていると、ふと、普段開かない記憶の引き出しが開いた。
小学生の時、下校途中の女子たちが今の彼女と同じような指を空に向けていた。
キャッキャッと女子同士で笑いあっているその光景は、異様でもあり、何を楽しんでいるのか当時の俺にはサッパリわからなかった。
「これ、やった事ある?」
指で作ったフレームは空に向けたまま、彼女は子供のような無邪気な顔で俺の方を見た。
「それ、小学生の時クラスの女子たちがやってたけど。おまじないか、なんか?」
「それがさ、イマイチ覚えてないんだよね。確か、10個だか、20個だか飛行機をこれで集めると願いが叶うんだったか、なんかだった気がする」
そう言うと彼女はまた飛行機を指フレームに収めることに戻ってしまった。
子供の時の一過性の流行りというのは、その時熱中していても、時間が経つと細部が不鮮明になってしまう。
何故そんなにも熱中していたのか、執着していたのかもわからなくなる。そもそも流行りとは、押し並べてそんなものなのかもしれない。
「楽しくやっていたのに忘れるとか、子供って薄情だよね」
彼女の指フレームから外された飛行機が
悠々と高く高く遥か彼方へ飛んでいく。
いつか。
ここで今、こうして彼女と話したことも細部が不鮮明になって、風化していくのだろうか。
「でも、飛行機を何個集めるのかも、集めた先に何があるのかも覚えていないけれど、友達とやっていて楽しかった思い出は残っているのよね」
彼女の言葉に俺はハッとした。
「細部全部を覚えていないとしても、楽しい思い出だけは残る。人は生きる為に、忘れることをプログラムされているのだとしたら、なかなか強かな事よね。でも、もし、本当にそんなプログラムが私達の中にあるのだとしたら、生きるのも悪くない。そう思わない?」
彼女とここで話した内容を忘れても、
彼女とこうして同じ場所で同じ時間を共有したことは、きっと忘れない。
例え、辛いことや嫌なことを体験してもいつか朧気になって「あの時はああだった」と。
それ以上でもそれ以下でもない事実となり、
それ以外の楽しい思い出のみが輝くようになっていく。
もし、本当にそういうプログラムが人間に組まれていたのなら心強いと俺も思う。
彼女の発言には時折翻弄されるし、困ることもあるけれど、心地よく響いてしまうのは何故だろうか。
考えようとすると、言葉はスルリと逃げてしまい捕まえることは出来ない。
それすらも笑い出したくなるほど清々しくて、そう感じる自分がますますよくわからない。
秋風が彼女の艷やかな黒髪を揺らしていく。
なびく髪の合間から見える彼女は凛と微笑んでいた。
その顔を生涯忘れないように
俺は心のフレームでシャッターをきった。
10/14/2023, 11:57:08 AM