汀月透子

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〈LaLaLa GoodBye〉

 人生の節目の数だけBGMがある、なんて馬鹿馬鹿しいと思っていた。
 けれど今、営業車の中で流れるこの曲を聴くと、そんな言葉はすっかり撤回したくなる。

 ラジオから懐かしいイントロが流れた瞬間、ハンドルを握る手が少し震えた。
 高校の頃、毎日のように耳にしていたあのメロディ。
 軽快なリズムに乗せて、「LaLaLa GoodBye」と歌う声が、十代の夏の空気をそのまま連れてくる。

 当時、クラスメイトの中村がギターでこの曲を練習していた。
 昼休みの音楽室で、彼のそばにはいつも一人の女子がいた。長い髪を後ろでひとつに束ねた、笑うと頬に小さなえくぼができる人。

 俺は、ただ遠くから見ていただけだった。話しかける勇気もなく、放課後、彼女が中村と並んで歩くのを見送るのが日課だった。
 あの頃の自分にとって、恋というのは手を伸ばすことすらできない光のようなものだった。

 社会人になり、結婚し、子どもも生まれて、気づけば四十を過ぎていた。平凡だけど、悪くない人生。
 昔のことなんて、もう埃をかぶった写真のように遠いと思っていたのに。この曲を聴いた途端、胸の奥がじわりと疼く。
 あのときの空気、匂い、夕焼けの色まで、すべてが一斉に戻ってくる。

 「LaLaLa GoodBye」──別れの歌なのに、不思議と明るい。
 それが流行った年の文化祭で、彼女がステージの袖から中村のギターを見つめていた姿を、俺は今でも覚えている。拍手の波の中で、彼女が小さく口ずさんでいた。
 その唇の動きまで、鮮明に。

 信号が赤に変わり、車を止める。窓の外には、もうすっかり秋の気配が漂っていた。
 あの頃の俺は、恋も夢も、何かを始めることに臆病だった。

「今なら、少しは違っただろうか」

 独り言のように呟いてみる。答えは風の音に溶けていった。

 ラジオのDJが、軽い口調で「懐かしいですねぇ」と言う。
 苦笑する。懐かしい、なんて言葉じゃ追いつかない。胸の奥に小さな痛みが残る。
 青春とは、そういう欠片を心に埋め込んでいく時間だったのかもしれない。

 人生の節目ごとに、確かにBGMはある。
 メロディーを耳にするたび、記憶の引き出しから苦くても甘い想いがあふれ出る。
 苦笑いできる思い出も悪くはないな。
 青に変わった信号を見、俺はアクセルを踏み込んだ。

10/13/2025, 3:16:28 PM