薄墨

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目が覚める。

指先や肌はまだ冷たい。
身体が芯から冷たい。
ありとあらゆる関節の隙間に、冷たい液体が流れ込んで固まってしまったような感覚で、身体がガチガチだ。
喉も瞳孔も手足も、いつもの感覚より何倍も縮んで固まってしまったように思える。
脳が冷たさにじーん、と痺れていて、理解が追いつかない。
冷たさですぼんだ喉からは、自分でも耳障りなほど、浅い呼吸が、ひゅーこひゅー、と弱々しく漏れ続けた。

ただ、胸の奥だけが熱かった。
胸の奥の奥、心臓が打つ鼓動だけは、カッカと熱い。
熱い鼓動が、どくん、どくん、と打ち付けていた。
熱い血液を、冷たく冷え切ってしまった身体中に押し出そうと、熱い鼓動だけが、だく、だく、と打ち続ける。

誰かが私の名を呼んだ。
顔を覗き込み、水気を拭き取った。
熱い鼓動と、浅い呼吸の合間に、確かに、私を呼ぶ声がした。
私の無事を安堵する声がした。

どうやら私は、川に落ちたらしかった。
それを知人と幾らかの通行人が救い出し、懸命に救命活動に従事してくれたようだった。

誰かが私の冷え切った肌をこすった。
少しでも、熱を与えようと懸命に。

熱い鼓動が打ち付けていた。
だく、だく、だく、だく。
浅い呼吸音が耳につく。

じんわりとした熱が、熱い鼓動と、誰かがこすった指先から、ほんのりと湧き上がった。
どうやら私は一命を取り留め始めているらしかった。
なぜだか脳の片隅が、ぼうっ、と温かく熱を持ち始めていた。

ぼんやりと温かさを増す身体の奥で、精神はそれを拒んでいた。
代わりに生き続けることへの、胸を打ち続ける熱い鼓動への言い知れない恐怖が、意識と体温が戻り始めた私をじわじわと苛み始めた。

私は生きるつもりはなかった。
一命を取り留めるつもりはなかった。
この世の恐ろしさを知り、深淵を覗き込み、自身に絶望した私は、このどうしようもない自分という個から、逃げ出すつもりだったのだ。

それがなんだ。これは。
胸の奥で、熱い鼓動がだく、だく、と怒鳴っている。
私の身体は、私の精神に反抗し、生きたい、と喚き散らしている。

ひゅーー
息が漏れる。
浅く、しかし確実に呼吸をする音が。

胸の奥の奥で、心臓が打ち続けている。
熱い鼓動が。
だく、だく、どくん、どくん、と。

7/30/2025, 3:21:59 PM