鏡ヶ池で満月の夜に入水すると、鏡の世界で生まれ変われる__
SNSで自死について調べていると、こんな投稿に何度も出くわした。どうせ都市伝説の類だろうと思ったが、最期ぐらいはロマンチックに死にたいと思った。もしも伝説の通りなら鏡の世界は全てが逆さまの世界。
夢も希望もないこの世界で生き続けるくらいなら、死んでもともと、鏡の世界にたどり着けば醜い人の心も逆さまになるんだろう。
面白そうだな。
そう思っている自分に驚いた。もう何年も「面白い」なんていう感情になったことがない。僕はこの腐った人生に飽き飽きしていた。中学生の頃にいじめられて学校に行けなくなった。そんな僕に両親は失望したのか、励ましも叱責もせずに感情のない目を向けた。部屋にこもる僕に食事だけを与えてくる。
生きていてもしょうがない。だけど一人で死ぬのは怖かった。僕は一緒に死んでくれる人を探した。鏡ヶ池の情報を貼り付けて、その上に「一緒に入水してくれる人、DMください」とだけ書いてSNSに投稿した。
しばらくするとDMが入った。メッセージを開くと「鏡ヶ池、ご一緒させてください」と書かれていた。
鏡ヶ池には新幹線と在来線を乗り継いで、さらにバスで一時間行った先にある。最期の旅とはいえ、新幹線に乗れるのは嬉しかった。今朝家を出るときも、母は僕を見て何も言わなかった。どこに行くのとも、何をするのとも、いってらっしゃいとも。久しぶりに履いた靴はだいぶキツかったけど、どうせ今日しか履かないんだから我慢できる。
新幹線を降りたところで同行者と落ち合うことになっていた。SNSのハンドルネームは「ゅぃな」。名前だけ見ると女性だろうか。
「え、やば! マ!?」
遠くから僕を指さして大声で近寄ってくる人がいた。
「暗っ! 地味っ! しぶっ! もしかして『漆黒のウェアウルフ』くん?」
僕をハンドルネームで呼んだのは、金髪ギャルメイクのJKだった。
在来線に乗り込んだ僕たちは、列車に揺られながらお互いに最期の時間を自分と向き合って過ごすのだと思っていた。
「今日誘ってくれてありがとねー」
ゅぃなさんは持参したポッキーをかじりながら話し始めた。僕は会ってからずっと考えていた。何か行き違いがあるんじゃないかと。ゅぃなさんは……、服装も、メイクも、しゃべり方も、どこを切り取ってもこの人は、自殺志願者ではない。
「あの、ゅぃなさん、その、な、なんで、なんで僕に」
人としゃべるのが数年ぶりで、言葉が出てこない。
「え、てか『漆黒のウェアウルフ』くんって今いくつ?」
この人は構わず自分の言いたいことをしゃべってくる。
「あ、あの、ユウタです」
「え?」
「本名、ユウタです」
人生最期の日にこんな厨二すぎるハンドルネームで呼ばれるのはつらい。
「えでもぉ」
「ユウタって呼んでください。……お願いします」
「あそう? じゃあユウタくんは何歳なの?」
「18歳です」
「え、マ? タメじゃん! ウチらタメじゃん! えこれ奇跡じゃない? え一緒に自撮り撮ろ、ね、ね!」
わ、ノリがギャルすぎる、絶対今日死ぬ人じゃない。
「ちょ、ちょっとすいません、ちょっと一回待ってください」
僕はインカメを起動してポーズを取り始めるゅぃなさんを制して言った。
「え、ユウタくん顔出しNGだった? ごめんごめん」
コンプラ意識はちゃんとあるみたいで良かった。じゃなくて。
「あの、ゅぃなさんは、今日、これから何をするか、わかってここに来てますか?」
言葉を区切ってなんとか意味の通る文章をしゃべれた。
「え、ユウタくんが誘ったんじゃん。ちょっとギャルバカにしてる? あーし漢字ぐらい読めるよ。鏡ヶ池でしょ?」
「いや、そこじゃなくて」
「え、ちょま、『にゅうすい』? え、やだ『にゅうすい』ってなんかの隠語だったりする? やだもし……、ヤリモク!? ユウタくん、え、ヤダよ! あーしヤリモクじゃないよ!」
ゅぃなさんは自分のバッグを身体の前に持ってきて身を守る体勢になった。いろいろ勝手に勘違いしている。
「違います、まずヤリモクじゃないですし、『にゅうすい』も間違いです」
このまま一緒に行かせてはいけないと思った僕は、ゅぃなさんに全てを説明した。自分が自殺仲間を探していたこと、「入水」と書いて「じゅすい」と読むこと、あの投稿は鏡ヶ池で一緒に入水自殺をしてくれる仲間を募集していたということ。
「え〜、あーしただのタビトモ掲示板かと思ってたわぁ。旅の道連れ的な?」
捉えようによっては意味はあってるけど。
「ゅぃなさんがフッ軽すぎるんですよ」
「えでもじゃあ、ユウタくん今日死ぬってこと?」
その感じで聞くのか。でも絶対止められるよな。
「はい、そうです」
止められても意志は曲げない。
「そっかぁ、じゃあ帰り一人かぁ」
「え?」
「や、ユウタくんがいなくなっちゃったら帰りあーしぼっちだなぁって。さすがに長くない?」
「あ、その」
「やーユウタくんが一人じゃ行けないって思ったのもわかるなぁって。鏡ヶ池遠すぎるもんね。一人じゃ間がもたないよね」
「あ、そういう感じで誘ったんじゃないんですけど」
「え、そうなん?」
すっかり日も暮れた頃、僕たちは森の中を歩いていた。こんなに疲れるとは思っていなかった。今はただ、目的地へ向かうという気持ちだけで動いているような感覚だった。
「なんか、変な感じですね」
僕は沈黙を破りたくなってつぶやいた。
「なん?」
「ただ死ぬだけなのに、そこまでに試練があるなんて」
「はは、最後だからって変な気起こさないでよ。ヤリモクじゃないから」
「は、やめてくださいよ」
すでにそんな気力はない。いや、初めから気力も体力もなかったか。
「あ、月!」
ゅぃなさんが声を上げた。少し開けた空に満月が先に見えた。月が見える方にさらに進んでいくと次第に空を覆う木々が少なくなっていき、ついに開けた空間が顔を出した。
「・・・」
僕たちは言葉を失った。満月を中心にした星たちが雲ひとつない夜空に輝いている。そしてその星空をそのまま落としたような星空が鏡ヶ池の湖面に映っている。
「きれい……」
先に口を開いたのはゅぃなさんだった。
「空が落ちている」
その光景を見た僕は、この空に飛び込んだら本当に鏡の世界に行ける気がした。僕は吸い込まれるように湖畔に立った。風はなく、波音も立たない静かな池。
遠くの方で、湖畔に佇む大きな木のひとつから、一枚の葉が落ちた。ひらひらと揺れながらそれが湖面に触れると、そこから波紋が広がり、星空は震え出した。それを見たとき僕は、湖畔ギリギリに立っていた足を一歩後退りさせた。鏡の世界が本当は幻で、向こう側の世界が一瞬で崩れ落ちたような気がしたのだ。
しかし波紋が収まると、再び美しい鏡の世界に星が煌めいた。
「ねえ、これを見てもまだ、死にたいって思うの?」
ゅぃなさんは、その質問に僕がどう答えるか、確信があったんだろう。
「まさか」
この世界には、まだこんなにも美しい景色がある。本物に見えた鏡の世界は、この世界が作り出した幻だった。僕はまだこの世界にいる理由がある。
「やっぱり一人で来るんだったな」
「え?」
一人なら、やっぱり僕は死んでいただろう。
「いまの僕は、ゅぃなさんを一人で帰らせるわけにはいかないよ」
ゅぃなさんは、身を守る体勢になって言った。
「やっぱりヤリモクだったのね」
「だから違うったら」
3/22/2025, 3:30:07 AM