友人は、大水槽を見るのが好きらしい。
大水槽の前に座って、じっと海の生き物が自由に泳ぐのを見るのが好き。何時間でも何日でも一ヶ月だろうと、飽きること無く見ていられる。とよく言っていた。
「海の中の生き物になれるとしたら、何になる?」
「唐突だな。」
友人と二人、大水槽の前に座りながら静かに会話をしていた。平日の朝早くから水族館に来たこともあり、周りには誰もいなく、小さく流れるbgmと話し声だけが聞こえてくる。
そんな中突然問いかけられたもしもの話、俺は水槽の中をぐるっと見回してから考えた。
水槽で生きる生き物達は、各々が自由に過ごしている。群れで回り続ける小さな魚や優雅に鰭を動かすエイ。ゆったりと泳ぐサメに、子供のようにそのサメについて回るコバンザメ、水の底で眠るウミガメや小さくも大きくもない自由に動く魚達。
この水槽の中には、平和という文字が似合うと思った。
「あのサメになりたい。」
水槽を見つめながら呟いた言葉に、友人はあれ?と指を指す。肯定の意味で首を縦に振ると、彼は何を思ったのか椅子から立ち上がって水槽に近づいた。
「ふーん。このサメね。この水槽の中のサメで間違いない?」
水槽の表面に触れて水槽の奥を泳ぐサメを見つめて友人は言う。その質問に微かな引っ掛かりを覚えながらも俺はそうだと返事をした。
「へー。」
後ろから彼の表情は伺う事ができず、俺はただ水槽に触れたままの友人の背を見ることしか出来ない。
「……解釈違いだな。」
「は?」
数分、数十分だろうか。時間が経ってから唐突に友人は振り返る。その表情は不満気で、つまらないと顔に書いてあった。
「こんな水槽の中で一生を過ごす訳?君が?無理だろう。このサメになるだなんて牙を抜かれたただの魚になるようなものだ。」
「サメに失礼だ。」
失礼で結構。ホントのことを言っただけ。と拗ねた表情で友人は再び水槽に目を向ける。何が不満なのか分からないが、友人は明らかに不機嫌になっていた。
「サメが不満か?それとも、この水槽で生きるサメが不満か。」
「この水槽で生きるサメだね。知ってた?水槽の中のサメはいつも満腹で余裕があるから周りの魚を襲わないんだ。それは平和でいいかもしれないけど、毎日がつまらないよ。毎日同じ景色を見て、同じものを食べて、人の見世物として泳ぎ続ける。そんな生活に君が耐えられる?そんなスリルのない毎日に、生きがいを見いだせる?そもそも、こんな小さな場所で君は満足できるわけ?」
ゆっくりと、友人の背後をサメが通り過ぎた。
じろりとこちらを睨むような目を向けるサメは今にも食い殺して来そうな圧があるが、友人は気づいていないのか不機嫌顔で俺を見つめたまま。
それにしても、友人は大水槽を見るのが好きという割に、この水槽を大きいとは思っていないのか。
「なら、お前は何になる。」
「シャチ。」
食いつくように即答した友人は、水槽の中のサメを威圧せんばかりの鋭い眼光で俺を見つめた。
「シャチは海の王者だよ。頭が良くて強くて、大きな海を自由に泳ぐことが出来る。サメだって喰らうほどだ。……君が水槽の中にいるなら、その水槽ぶっ壊してでも君を喰らってやるよ。」
「……似合わねぇ…それこそ解釈違いだろ。」
今度は俺が不快感から顔を歪める番だ。
こいつがシャチ?能天気で偉そうで図太い性格のコイツが?ありえないだろ。
「お前はアレだろ。あのでかいヤツ。……思い出した、ジンベイザメだ。」
「はぁ!?」
「ピッタリだろ?弱肉強食の世界で生きてるくせに危機感もなく悠々と海をおよぎ続ける魚だ。サメの仲間の癖に何にも攻撃しない温厚な阿呆。」
「阿呆ってなんだ!立派なサメだろ!デカくてカッコイイだろ!なら君はホオジロザメだね?水槽の中に入ったら自分の泳ぐ速度間違えてすぐに鼻頭を壁にぶつけるようなポンコツだ。シャチに喰われろ。」
「お前さっきから喰われろ喰われろうるせえよ殺す気満々じゃねえか!」
ギャーギャーと水族館で騒ぐなんて多大な迷惑。誰かがいたのなら注意されただろう。
けれど幸い今日は平日で、客が少ない真昼間。俺たちの言い争いを止めるような人はいなかった。
「あー埒が明かない!とりあえずあれだ。お前はこんな水槽よりでかい海で図太く生きろよ。」
「どんな締め方だよ。」
ゼーハーと呼吸を整えながら、お互い冷静になっていく。良く考えればなんでこんなことで騒いでいるのか分からなくなって、顔を見合せて吹き出した。
ほんと、こんなもしもの話なんかで馬鹿みたいに騒ぐなんて、文字通り馬鹿のすることだろう。
「とりあえず、水族館の外にある海でも行く?」
「いいなそれ。気分転換に行くか。」
「よし!じゃあ海へレッツゴー!」
【海へ】
8/24/2023, 3:46:52 AM