sairo

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気が付けば、空が白み始めていた。
朝が来たのだ。古い一年が終わりを迎え、新しい一年が始まった。
ぼんやりと空を見上げ、そして部屋の中を見回した。
昨日と同じ景色。
昨日と同じ色と匂い。

何かが変わった様子はない。

そっと部屋を抜け出し、リビングに出る。
しんと静まり返ったリビングは、まったく違うようにも見えるが、よくよく見れば昨日と変わらない。テーブルや椅子の位置も変わらず、カーテンや絨毯の色も明るくなれば同じに見えるのだろう。
違いはない。けれども年が明けた。では何が違うのだろう。

ふと外で音がした。
カーテンの間から、こっそりと外を眺める。

「――あ」

思わず漏れ出た声に、外にいた誰かと何かは同時に反応する。
二対の目がこちらを見つめ、ひゅっと喉が鳴る。逃げることもできずに立ち竦んでいれば、庭へと続くテラス窓が音もなく開いていった。
自分の意思とは無関係に体が動き、開いた窓から外へと出る。サンダルを履き、こちらを見ている一人と一頭へと近づいた。

「明けましておめでとう。早起きなのね」

赤い着物を着た女性が、柔らかく微笑んだ。

「おめでとう。こんな目出度き日に、何を浮かない顔をしているのだ」

女性に寄り添う栗毛の馬が、不思議そうに問いかける。

「年が明けたのに、昨日と何も変わらない。変わった所はどこなの?」

気づけばそう口にしていた。
聞きたいことはたくさんあるはずなのに、それ以外は何も出てこない。一人と一頭はそれぞれ驚いた顔をして、けれどもすぐに穏やかな顔になり近づいてきた。

「目だけで見ようとすると、何も変わらないわ。匂いも音も、同じに感じてしまうはず」
「五感のすべてで感じるといい。時は昨日と地続きになっているが、確かに年は明けたのだ。我らに気づいた君ならば、気づくことができる」
「本当に?分かるかな」

不安を口に出せば、優しく頭を撫でられる。馬の鼻先が頬を擽り、こそばゆさに肩が跳ねた。

「怖くはないわ。分かるでしょう?」

女性に言われ、頷いた。
怖くはない。ただ畏ろしさを感じている。
動けない自分の手を取って、女性はそっと馬の首に触れさせた。そっと撫でると、馬は心地良さそうに擦り寄ってくる。
艶やかな毛並み。しなやかな鬣。そっと抱き着き、目を閉じる。

聞こえるのは、風の音。草木の香り。昨日とは、去年とは異なる、どこか厳かな感覚。

「――年が、明けたんだ」

昨日の続きだけれど、新しい始まり。
ようやく感じられた。首に抱き着いたまま、笑みが浮かぶ。

「明けましておめでとうございます……いつもありがとう。今年もまたよろしくお願いします」
「えぇ、貴女が健やかに過ごせるように見守っているわ」
「身体に気をつけろ。君はすぐに無理をする。周りのことばかり考えず、まずは自分を大切にするんだ」

穏やかな声音で諭されて、気恥ずかしくなった。
答える代わりに小さく頷く。顔を見ないのは失礼だとは思うものの、抱きついた腕は離れなかった。

「さぁ、そろそろ行かないと。新年は色々と忙しくなるからね」

女性の言葉に、後ろ髪を引かれながらも腕を離す。優しい目に笑顔を返し、数歩後ろに下がった。
いつの間にか陽は上がり、辺りは明るくなっている。
どこか浮き足立った空気を感じながら、一人と一頭に向けて、深く礼をした。

「今年もいい一年になるはずよ。だから私たちと、ちゃんと遊ばせてね」

女性の声が遠く聞こえる。
顔を上げるが、目の前にはもう誰もいない。辺りを見渡しても、自分の他には誰もいなかった。
急に強い風が吹き抜けた。咄嗟に目を閉じるが、風の勢いに体がふらついた。
足に力が入らない。感覚が曖昧になり、立っているのか倒れているのかも分からない。
ごぉっと耳の横を風が通り過ぎていく。駆け抜ける勢いで音が遠くなり。

次に目を開けた時には、庭ではなく自室のベッドの上にいた。





「明けましておめでとう」

目覚めてから何度も聞き、そして口にした言葉を繰り返す。
父や親戚たちは、笑顔で食卓を囲んでいる。祖父母の家の二間続きの座敷は広いものの、親戚一同が揃うと流石に狭さを感じてしまう。
母たちは忙しなく台所と座敷を往復している。少しは休めばいいと思うものの、酒臭い座敷よりも台所で女性だけでいる方が気楽なようだ。

「お疲れ様。お手伝いありがとう」
「はいこれ。お年玉とは別のお駄賃よ。ここだけの秘密ね」
「ありがとうございます」

また一つ増えたポチ袋を手にはにかんだ。忙しさはあるものの、こうして見返りがあるのはありがたい。
鞄の中に袋を入れていれば、ふと奥の間で蹄の音が聞こえた気がした。不思議に思い廊下に顔を出すが、聞こえるのは座敷にいる酔っ払いたちの声だけだ。

「どうしたの?」
「あの、蹄の音が聞こえた気がして。気のせいだったみたいですけど」

肩を竦めて笑う。だが母たちは皆、何かを納得したように頷き微笑んだ。

「きっと守り神さまね。今年も遊ばせてくれるのを待っているのよ」
「特に今年は午年だもの。張り切っているのかもしれないわ」

叔母たちの言葉に首を傾げる。
母を見れば、少女のような笑みを浮かべて奥の間の方へと視線を向けた。

「私の娘を一等気にかけてくださっているからね。今年も来るでしょう?」

そう言われて、あぁ、と思い出す。
祖父母の家で祀られている二柱の神のことを。

「新年、だからか」

優しい神様たちを思い浮かべ、笑みが浮かぶ。

今年もいい年になりそうだ。
そんな予感に、胸が高鳴った。



20260101 『新年』

1/2/2026, 11:17:20 AM