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今日のテーマは、【夢が醒める前に】

夢が醒める──正常な精神状態にもどる。
        正気づく。
        目ざめる。

さーて、困った。
どうしようかな。

眠りから起きる前。
関心事(将来の夢や好きなもの)から心が冷める前。

うーん、文字で並べてもまだ決められない。

理屈で考えても答えは出なそうだ。
感覚に頼ろう。

【夢が醒める】という文字だけだと、フワフワしていたものがパチンと弾けて落ちる感覚がする。
シャボン玉や風船がわれた時のような、少し残念な感覚も伴う。
今回のテーマは、その【前】。
対象に対し舵取り可能、または、不可能な状態を選ぶことが出来る。

例えば
純粋な眠りから覚醒前までを物語にするのなら、

「夢が醒める前に、夢からまた夢へと誘われた」
(二度寝オチ)
「夢が醒める前に、〇〇を見た」
(幻想的または現実オチ)

関心事から心が醒める前を物語にするのなら、

「あれほど夢中になっていたはずなのに、心が置いてけぼりをくっている」
(困惑オチ)

「興味を失いそうな時は、一旦距離を置く」
(対処オチ)

ザックリ書いてもこれだけオチがある。
もっと考えれば、さらなるオチも出てくるのだろう。

四差路や五叉路を前に「どのルートにしますか?」と尋ねられているような気分だ。

なるほど。
優柔不断な自分にとって、このルートの多さは決めかねる。

上記全てのルートを通る方法は…文字数がヤバくなりそうだ。
しかし、試してみたい…

────────────────────────
私には、好きなものを好きなままでいられるよう心がけていることがある。
それは、「興味を失いそうな時は、一旦距離を置く」という方法だ。
どんなに好きなものでも毎日毎日摂取していると、偏りが生じ、食傷気味になる。そうなると、好きだったはずなのに好きでなくなるという悲劇に繋がってしまう。
人間の「飽き」の恐ろしさというやつだ。

それを回避する為に生み出したのが、先の少し飽きを感じた段階で好きなものと敢えて距離を取るという方法だ。
好きなものと敢えて距離を取ることにより、自分の中がフラットに戻るようにする。
フラットに戻ったところで、再び好きなものに向き合う。そうすると、新鮮さや有り難みを再び感じたりすることができるようになる。
存在の尊さは離れてこそ、ということなのだろう。


私の最近の楽しみは、推しを動画サイトで観ることである。
仕事終わりの至福な時間だ。

今日もいつものように布団の中で推しの動画を見ていた。
いつもならば「素敵」とか「カッコいい」とか、心がキャーキャーと黄色い悲鳴をあげるのに、今日は何故か悲鳴は疎か声すらあがらない。
頭ではカッコいいと思っても、心が置いてけぼりをくらっているような、変な感覚だ。
画面に推しがいる。
カッコいいはずだ。
それなのに以前のように魅力的に見えない。

何でだろう。
疑問符が頭の上に何個も浮かぶ。

食傷気味にならないように気を付けていたはずなのに。いつの間になってしまったのだろうか。

困惑している間に、動画は終わってしまった。
画面にいた推しの姿はなく、広告が流れ始めた。

「飽きないように気をつけていたのになぁ…」

誰に言うまでもなくポツリと呟く。
狭く寒い部屋に自分の声が寂しく響いた。

今日は疲れているから、心が動かなかったに違いない。
早く寝よう。

スマホの電源を切り枕元に放ると、部屋の扉が開く音がした。
一人暮らしの為、私以外に人はいないはずだ。

泥棒?

内心焦りながら扉の方へ目を向けると、そこには推しの姿があった。
動画と同じ衣装を着ている。

私はパニックで声にならない悲鳴をあげ、飛び起きた。

目をかっぴらくと、枕カバーが目に入った。

枕のそばではスマホが煌々とした明かりを放っている。チラチラと変わる色の向こうに推しの姿があった。夢で見た時と同じ衣装を着て、笑っている。

カッコいい。
やっぱり自分の推しはカッコいい。

さっきのは変な夢だったようだ。
こんなにカッコいい推しを見て心が動かないなんて、あり得なすぎる。
あっ、カメラ目線キタコレ。カッコいい。

心がキャイキャイと喜んでいる。
そうそう、推しを観ている時はこの感覚だ。

緩む頬のまま画面に釘付けになっていると、動画の推しが目の前にいた。

周囲は動画の中のスタジオに酷似している。
手の届く距離には、推しがいる。

「これは夢だ」と呟く誰かの声に私は、素早く耳を塞いだ。

3/20/2024, 1:20:04 PM