愛を注いで
幼少の頃、父の実家は小さなスーパーを経営していた。近所のおばちゃんたちにはとても可愛がられた。子どもながらに小さな店であっても、店の信頼、暖簾を背負っていると感じた。
祖父母に連れて行ってもらうのは、仕入先の卸売市場。市場近くの喫茶店。忙しいなか、少しの時間を一緒に過ごしてくれた。
釣りに行ったり、農作物の収穫をさせてくれたり、お店の手伝いをさせてもらった。子供だから上手にはできない。自分がやったほうが早いのに、失敗しても、下手でも、静かに見守り、経験をさせてくれた。
思春期には会いに行く機会が減り、会うたびに食品やお小遣いをもらった。お金やモノでだけつながっているみたいで、寂しかった。もっと私に興味を持って、頑張っていることを褒めてと。
愛の注ぎかたには色んな形がある。忙しいなかでも、私が喜ぶと思って与えてもらったことを素直に喜ぶことができなかったことを後悔している。
愛を注いでと求めるばかりだった自分は、今、誰に愛を注いでいるのだろう?これから先、私は自分が注いでもらったように誰かに愛を注げるのだろうか?
愛はこんなにも近くにあふれていたのに、薄れてようやく気づくものなのかもしれない。
12/13/2022, 2:00:33 PM