海月は泣いた。

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手を繋いで


私には愛しい愛しい恋人がいる。彼と付き合ったのは文化祭の後だった。彼はモテるから、他とは違うことをしなくちゃって、文化祭で告白なんて在り来りな事はぜったいしない!おもしれー女感を出すんだ!とか散々案を練っていたのにも関わらず、彼の隣で見た花火があんまりに美しくて、花火を見る横顔が愛おしくてどうしても我慢できなかった。
「好き!」
と花火に負けないくらいの大きな声で言ってしまった時、頭が真っ白になった。やらかした、と思った。こんな意味わかんないタイミングで…しかもこんな大きい声も出して……終わった……。周りの人の視線と彼の驚いた顔が私に注目した。顔がカアっと赤くなって、俯いた。もう人生のどん底にいる気分だった。これが私の人生最大のやらかし…と落ち込んだ時、思いもよらない言葉が私の耳に飛び込む。
「俺も!」
彼は私よりも大きな声でそう言った。何より眩しい笑顔で嬉しそうに顔を綻ばせた。彼の放った一言とその笑顔で人生のどん底に居た私は一気に有頂天まで持ち上げられた。彼と結ばれることが出来るなんて……私は前世でどんな良いことをしたのだろうか。ありがとう前世の私。ありがとう……。あの瞬間を私は一生忘れないだろうと本気で思ったのだ。確かに人生最大の幸福だった。
そんなこんなで私たちが付き合い出してから四ヶ月が経とうとしていた。好きな人と過ごす季節はあっという間でそのどれもが虹色に彩られている。楽しい時間は早く過ぎるように感じると言うが、まさにその通りだとうんうん頷いた。すっかり寒くなり、制服の上にコートを着ることも当たり前になった。吐く息は白く、霧がかった白い世界は冬を感じさせるには十分だ。そろそろ雪まで降りそうだなあと思う。
「寒いね」
「ね、今日の最低気温マイナス三度だってさ」
「え!マイナス」
「凍っちゃいそう」
彼はふふっと楽しそうに笑う。可愛い。寒さで赤くなっている鼻も、マフラーに埋めた顎も、笑うと細くなる目も、伸びてきて歩く度すこし揺れる茶髪も、ぜんぶぜんぶ可愛いなあ。彼と話す度いつもああ好きだなと思う。四ヶ月経っても、だ。ベタ惚れだという自覚はある。何をしてても、どんな事でも好きだと思うの。これは私がいけないのかなあ、いや、彼が私をこんなにさせてるんだ、と彼のせいにしてしまいたくなる。
でも、でもね。大好きだけど、ちょっぴり不満もあるんだ。何回も言っている様だが、彼とはもう付き合ってから四ヶ月が経つ。四ヶ月の間お互い予定がない時は一緒に帰ってる。晴れの日は身を寄せあい、雨の日は相合傘をして、時に嬉しいことがあった日は自慢しながら笑いあって、時に悲しいことがあった日はちょっと泣いてしまったり慰められたり…。そうやって、二人で色んな時を過ごしてきた。当初より距離はぐんと縮まって、お互いの愛は現在進行形で高まっている。
…そのはずなのに!そのはずなのに!私たちは一度も手を繋いだことが無い!こればかりは本当に頭を悩ませている。最初のころはいつ手を繋ぐんだろうか…とドキドキしていたが、もう今はどうせ今日も…と諦めムードに入ってきてしまっているほどだ。付き合ってからどのくらいで手を繋ぐものなのかと調べたことがあるが、数日で手を繋いだという人も少なくなかったし、一ヶ月でまだ…と悩んでいる人もいた。私なんて四ヶ月だぞ!と名も知れぬ人に物申したい気持ちでいっぱいになった。こうなると私のこと本当に好きなのだろうか、という不安まで付き纏うようになる。彼が私に向ける甘たるい視線や他の人とは少し違う声色や優しい語尾に私のこと好きではあるだろうと思うのだけれど、それでも不安になってしまうものだ。女の子は難しいんだよ。
でも、それを今日私は断ち切るって決めたんだ。待ってるだけじゃダメだって腹をくくった。私は告白もしたんだし、手を繋ぎたいと言うのだって告白の時に比べたらどうって事ないだろう。そう言い聞かせて、はやる心を宥める。ちらりと彼の横顔を見た。いつも通りの横顔は鼻が高くて唇が薄くて、やっぱりいつも通り整っていて思わずうっとり見蕩れてしまう。彼はこちらの視線に気付いて、ん?と不思議そうに首を傾げた。うわあ、女子が好きなやつナンバースリーの仕草だ。キョロっと周りを見渡して誰も居なかったことに胸をなでおろした。良かった周りに誰もいなくて、こんなかっこいいの誰が見たって惚れてしまうだろう。彼は未だに何も分かってなさそうな顔をしていて、かわいい…と言ってしまいたくなったが、私の気持ちも知らないで…とやっぱりちょっとムカついた。彼は手を繋ぎたくないの?ちょっとは焦ったり悩んだりしないの?そんなことを考えていると顔に出ていたみたいで彼が口を開いた。
「どうしたの?なんか嫌なことでもあった?」
私は君のことで悩んでるんだけど!と言いたくなった。はあ、とため息まで出てしまって、彼が心配そうな顔をした。
「もしかして…俺、なんかした?」
お、いい気づきだ。このまま手を繋ぎたいという気持ちを汲み取ってくれるように誘導できないだろうか…と考えて、意地悪なことを言ってみた。
「…まー、そう、かもね」
彼は分かりやすく焦った。わなわなと手を震わせて目を泳がせている。どれだろうと心当たりを探す様が必死でかわいい。その様子を飽きずにじっと見つめていればそのうち彼はハッと思いついた顔をした。ついに気づいたか!と感動した。ごめんねって言って手をぎゅっと握って欲しい。それだけで私は十分なの。私はたったそれだけで全部許して、大好きだって気持ちでいっぱいになれるから。そう次に来る言葉に期待して高鳴る胸を抑えて祈った。来たぞ!来たぞ!と頭の中で嬉しいという気持ちが踊り跳ねる。
「ごめん、俺さ、この間借りたジャージ借りっぱだわ…」
はーーーーー!?喉元まで手がかかった言葉に咄嗟に口を押えた。おいおい、違うじゃん!そんなことどうでもいいの!いや返して欲しいけど!もーーー、なんなの。今はそんなこと重要じゃない。私は…私はただ……!今度こそほんとうにムカついた。それで大きな声で言った。
「寒いね!」
「ぅ、うん?寒いね」
「だから!寒いから!手を、」
彼の顔にはハテナが浮かんでる。ほんとに鈍感なやつ。仕方ないやつ。…それでもこんな愛おしいなあ。
「てを、つなぎたかったの…」
声が震えた。あんなに大きな声を出せたのに、言いたかった言葉はうんと小さくなった。彼はあんぐり口を開けてぽかんとした顔をしている。今まで見たことの無い顔だ。それで何秒か遅れて言葉の意味を理解したあと、顔を真っ赤にした。途端に彼はうわーーっと叫んで、しゃがんだ。私は驚いて、同じようにしゃがんで顔を覗き込む。
「み、見ないで…恥ずかし…」
そんな素直な言葉に私まで照れた。恥ずかしくって、あっつい。
「おれ、も。つなぎたいと思ってたよ」
だったら早く…とかさっきので気づいてよ…とか思うことは色々あったはずだったけど、もうかわいくっていとしくってそんな事どうでも良くなってしまった。彼は勢いよく立ち上がって、私の手を掴んで私を立たせた。うわうわ、手…手を、繋いでる。私たち、手を繋いでる。嬉しくて仕方なかった。そのまま飛び跳ねて走って、どこまでも行けそうな気持ちだった。真正面の彼はまだ恥ずかしそうなのに私からは決して目を離さない。熱い視線に身体が沸騰しそうだった。世の恋人たちはもっとナチュラルに手を繋いでそれが当たり前なのかもしれないけど、私たちは違う。でも違っていいと思えた。だって、こんなにも嬉しい。行こうか、と彼が言って私たちは歩き出した。二人の距離は今までになく近くて鼓動の音まで聞こえてきそうなほどだった。左手の温度が心地よい。二人の歩幅が同じになってぴったりとくっついて二人でひとつになったみたいだ。ずっとこうしていたい。こんな時間がいつまでもつつけばいいのに。
「…これからは、手を繋いで帰りたい」
小さな声で呟いた。周りの音にかき消されてしまいそうなくらい小さかったが、彼はバッチリ聞き取って、もともと赤かった顔を更に赤く染めた。
「お、俺も!」
ギュッと強く手を握られた。そのちょっぴりの痛みが嬉しくって、彼の大きな手を私も負けじと強く握った。何だかおかしくって二人笑いあう。いつも通りの帰路がキラキラとハイライトを落としたように輝いて見えた。初めて手を繋いだ記念日だとか言う人を馬鹿みたいだなと私はそんなことしないと心のどこかで思っていたのに、今日という日に名前をつけたくて仕方がない。帰ったら、カレンダーに印を付けよう。忘れないように。私は大切な宝物がまた一つ増えた気分で胸が幸せでいっぱいだった。

12/9/2023, 2:57:23 PM