※薄いSanster(BL)
サンズとガスターは、まず相性が凄まじい。
サンズは紙コップを机に置いた。
コップからふんわり膨れ上がって、フラフラただよう湯気の先には、PC画面に取り憑かれたガスターがいる。
サンズは邪魔をしないように、ひっそり自分の席へ座り直した。
静寂の合間に、廊下からの物音や、戸締りの激しい音が落ちてくる。
サンズも、画面の発注書と、手元の見積書を見比べながら時折マウスを動かした。
そこへ、コーヒーをすする音が加わる。
サンズは、ガスターをチラリと見た。
彼は、コップを繊細に傾けてゆっくりと口へ流し込んでいる。
そして、サンズを見ていた。
サンズはすぐさま、モニターに目を戻す。
「……クレームなら聞かないぜ」
「むしろその逆だ。君にコーヒーの好みを言った覚えがない」
ついもう一度、ガスターを見てしまった。
サンズはゆっくりと目線を外し、再び作業に取り掛かろうとする。
「クレームは聞かないが、クリームなら効いてるって?博士、仕事中は私語しないってルールだろ」
しかし、ダジャレを思いついた時、特にサンズのような男は話をやめられなかった。
そう、ダジャレのせいなのだ。
サンズは、数量から単価価格を確認したあと、ガスターの顔を見て、忘れる事を四回も続ける。
ガスターが息を吐くのが聞こえた。
どうやら、サンズが気がつかないうちに会話は終わったらしい。
そもそもサンズの言ったダジャレは良い締めにもなっていた。
サンズも、音を出さずに息を吐き、ようやく最後の仕事に取り掛かる。
最後に、電源を落とした。
サンズは軽くのびをすると、壁にかけられた質素な時計を一目見る。
七時四十分……家まで一時間。
椅子にだっくりしなだれかかって、
肋骨から空気を吐いた。
ガスターは、未だにPCに向かっている。
マウスを地団駄のように操作しては、眉をよせて画面を眺め、時折眉間を揉みしだく。
サンズはふと、自分はデスクワーク中、どんな風に見えるか気になった。
さて、残すは片付け。さっさとやるに限る。
椅子から飛び起きると、見積書の束を手に取った。
元のファイルに滑り入れ、ガスターの元へ向かう。
これは私語ではない。見積書の持ちだし簿を管理しているのがガスターだから、業務上非常に必要な会話なのだ。
「ご注文はコーヒー?」
……話には、取っ掛りが必要である。
ガスターはモニターを見つめたまま、その取っ掛りに素早く答えた。
「間違いない」
「いいね。じゃいれてくるよ」
サンズは踵を返し、オフィスから休憩室の方へ向かう……そう。会話には、取っ掛りが大事なのだ。したがって、この行動は全く正しい。
したがわなくとも、正しいはずだ。
仕事が長引いているガスターと、三日まともに眠れていない学生の凶暴さは、互角である。
「おまちどー 」
紙コップを机へ置く。
中で、コーヒーは黒い体へ光を飲みながら、とっぷり動いた。
「ああ、……どうも。ありがとう」
ガスターは紙コップをすぐさますくい取り、一気にゴクンゴクンと飲み干す。
間違えて水を入れてきたかと思うほどだった。
ガスターはコップを丁寧に置くと、言う。
「それで、要件は?」
サンズは言葉よりも、彼の顔に気を取られていた。
サンズに向けられた、重い疲れにくたびれながらも優しい笑顔は……
ハッとして、サンズは眼光をキュッと縮ませる。
「…………いや。ああ、ごめん」
ガスターから目を逸らすしかなかった。
サンズは首を下げて、手に持ったままだったファイルを差し出す。
「発注書が出来たんで、見積書を返そうと思ったんだ」
指先からファイルが抜き取られた。
サンズは背筋を伸ばしながらも、目は逸らし続ける。
ガスターは、ファイルの中から見積書を一枚一枚確認しているようだ。なぜ露骨に目を逸らしてまでいるのに、彼の動向を気にしてしまうんだろう?
「発注書の作成なんてのは……本来事務の仕事なんだがね」
ガスターは突然話し始めた。
「近頃、PCが一般に流通しだしただろう。
そのおかげでPCを扱えるモンスターの需要が高まったんだ」
「……らしいな。コンブリーも、自立するってさ。まあ、アイツに限ってはそれが妥当だよ」
サンズはそこまで言って、漠然と言葉を止める。
ガスターの顔へ、ゆっくりと視線を動かした。
彼の表情は、見事にサンズの予想通りに険しい。
彼は重く口を開いて、語った。
「……有名無実とはこの事だ。
ここ数年で、王立研究所は王国の支柱から金食い虫へと堕落した」
ガスターのペンは、静かに紙を縫う。
サンズはそれを聞きながら、ゆっくりと息をついた。
王国は研究所への支給資金をもっと別の場所へ、充て始めている。サンズのような、博士号のない研究員にさえも、その現状は大きく知れ渡っていた。
「すまない。君もこの事態に巻き込まれている。
給与が十分でないのならぜひとも言ってくれ。
私はできる限りの事をするよ」
サンズは短く笑う。
「そりゃ心強いや。あんたにできない事はないからな」
ガスターの口角は確かに上がったが、その目元は明らかに躊躇いがちだ。
彼はそのままPCに向き合う。
「今日も一日ご苦労だった。
よく働いてくれたね。心置き無く退勤してくれ」
サンズは、一瞬の間何も言わず、何も考えずに、青く照らされたガスターの横顔を見つめた。
「……お言葉に甘えて」
PCは倒れるように眠る。
ガスターは大きく息を吸って、吐いた。
オフィス中には、既にしっとりとした暗闇が染み渡っている。ガスターはそれを見渡すと、ぐったり立ち上がった。
ガスターのノッポ影は、そのまま、手首に重りをくくりつけているかのように、とぼとぼと出口へ消えていく。
静寂の立ち込めた廊下に、足音を響かせながら、ガスターは無性に黙っていた。
頭の中でもだ。ガスターにとっては、金日食ほど珍しい。
エレベーターのボタンが指の先で沈み込むと、ゆっくり離した。エレベーターが下がってきた所へ、黙って乗り込む。ただ動作をやりついだ。
ガスターの顔は寂しかった。
ココ最近、総合研究所内から事務員が引き抜かれていくだけでなく、研究員たちもとめどなく辞め始めている。皆一様に、取り掛かっている内容へ真摯に向き合う他、生活の事も考えなくてはいけないのだ。結果を出さなければ、以前のように、充足に充足を重ねたような資金は得られない。
資金が下がれば給与も下がり、結果を出せなくなる。この悪循環は解決しなければならない。
しかし、これ以上の軽減はどこかへ負担を及ぼした。
エレベーターから出た所には、事務フロアが広がっている。
総合研究所は非常に複雑な内部構造で有名だが、事務フロアだけは簡素にシンプルに、わかりやすく道を成している。
それは単に、客人が多いからだ。
ガスターは何気なく、ひとつひとつのオフィスを覗きながら歩く。
事務フロアの熱気も、研究員たちに負けず劣らずで目を見張るものがあった……
抱える仕事をさらに効率化しようとして、試行錯誤している人物を見かけた事もある。
主婦業の傍ら、働きに出たい一心でやってきた、素晴らしい才能の持ち主だった。
当時若かった彼女も、今は幾つになったのだろう……
事務フロアを抜けた時、ガスターはまた閉口していた。
事務フロアを抜ければ、あとは受付である。
遅くまで働いているグッナイトのセプターは、最後にこう言う「では、いい夢を……」。
ガスターは機嫌のいい時、時間がある時に返事をする。そうでない時は、返事もしない。
しかしセプターは、いつでも安らかな表情を忘れなかった。
セプターの席に座ったニワトリのモンスターは、ガスターをチロチロ見ながら送り出す。
自動開閉ドアのランプは緑に変わり、ガスターのためにゆっくり開いた。
待つ間、いつものように受付の電光を吸い込む廊下の暗闇に振り向く。
……誰もいない。
サンズは、オーバーコートを捲りあげて腕時計を見た。
八時二十分。まあ、許容範囲だ。
かかとを地面から上げて、トンと落とし、また上げて、トンと落とす。
ふと物音がしたような感じがして、総合研究所の出入口を振り向く。もう何度もそうだったように、物音はなんでもない家鳴りだった。
サンズはどうしてこんなストーカーじみた事をしているのか?
それはサンズ自身が本気で、これがストーカーじみた行動だとわかっていないからだ。
それに、サンズはまだ若い。行動力の化身である。
恋は盲目とは、よく言ったもの。
サンズはため息をついて、道の先を見やる。
総合研究所の敷地はとんでもなくデカイ。
研究所の周囲は、一般人でも見学できるようになっているのだ。
ツルリとしていて、背の高い面白い植物や、黄白く縁取られた緑の葉たちが地面へ生い茂り、また一方で、苔むした岩や、なにか美しく削りとられた岩やら、化石やら、とにかく色んな岩が置かれたエリアもある。
噴水まであった。ライトアップされたカラフルに光る水の横行を、ボーッと眺めてサンズは、ため息をつく。
ふと、自動開閉ドアが体を揺らした。
サンズはハッとして、即座に振り向く。
そこからは、ガスターは颯爽と滑り出てきた。
「……よう、博士」
すごい勢いで帰路についていたガスターは、サンズの言葉にピタリと止まる。
驚きのあまり、ゆっくりと振り向く動作には、サンズの口角は耐えきれなかった。
「サンズ……?なにか約束でもあったかな、それともなにか……相談事か?」
「そんな事ならさっき話してたさ」
サンズは目を閉じて静かに言う。
しかし、返事は響かず、虫の小さな声が帰ってきただけだった。
「……飯でもどうかなって」
ガスターは姿勢をただすと、ゆっくり歩み寄ってくる。
サンズも目を開けた。
そして少し緊張したから、頭を下げる。ガスターはサンズの隣で立ち止まり、言った。
「ご兄弟はいいのかね」
チラリと見上げたガスターの顔には、深い興味を覆い隠す、静かな驚きが広がっている……
なんて考えてる場合ではない。
サンズは慌てて答えた。
「大丈夫だ。今日一日、友達と勉強会するんだって元気よく出かけてったよ。へへへ」
サンズは目を伏せる。ガスターは口ほど、パピルスに興味をもっていないのだ。
「そうか。なら行こう」
先に歩み始めたのはサンズである。恐る恐る一歩踏み出し、ガスターが着いてくるのを見てから、歩いた。
「どの店に?」
後ろからガスターの声が響く。サンズはハッとして、歯を食いしばった。
「ごめん。言い忘れてたよ。えっと、今日はオレが奢るから……トランキーロへ行こうと思う。どうだ?」
噴水を横切るとき、水のカーテンで揺れているガスターの影が見える。
静かで、穏やかで、時間を忘れるような時間。サンズの感情は少し、振り回されていた。
「もちろん、他の場所でもいいよ。飲める場所なら」
「いや。そこにしよう。しかし君の奢りはナシだ」
サンズは少し笑って、反論してみる。
「おいおい。みみっちい給料なのはオレたち下っ端だけだってのか?」
後ろから、ガスターも笑った。
畳み掛けるように続ける。
「一度くらいは、見栄をはらせてもらいたいもんだぜ」
「わかったわかった。
しようがない。見栄を君に奢ろう」
「へへっ、負けず嫌いめ」
9/26/2025, 1:33:31 PM