木枯らしは、
何かを壊そうとして吹いていない。
ただ、
空気の粒を荒らし、
砂を巻き上げ、
呼吸の経路にノイズを流し込む。
感知器は壊れていない。
むしろ、よく拾う。
音も、間も、
ため息の角度も、
沈黙の長さも。
だから、
身体の内側では
選別と予測と防御が
休みなく走る。
まだ起きていない衝突の
予告編だけが
繰り返し再生される。
木枯らしは、
敵の姿を見せない。
どこから吹いているのかも
いつ止むのかも
はっきりしない。
ただ、
「安全ではない」という情報だけを
一定の風量で送り続ける。
逃げ場はない。
止める対象もない。
だから神経は
未確定の緊張を抱えたまま
拘束される。
外から見れば、
誰も殴られていない。
何も起きていない顔をしている。
けれど、
回転部には砂が残る。
アクセルを踏んでも
力はきれいに伝わらない。
反応は遅れ、
判断は鈍り、
思考は重くなる。
それは破壊ではなく、
摩耗だ。
跡は残らない。
ただ、
神経系の奥に
乾いた冷気だけが居座る。
木枯らしは過ぎ去っても、
身体はまだ
その風向きを
記憶している。
これは嘆きではない。
長く吹きさらしの場所で
生き延びた結果としての
静かな後遺症。
木枯らしとして
読むことができる、
確かな事実。
題 木枯らし
1/17/2026, 10:54:08 AM