今日は雨が降っていて、いつもより肌寒い日だった。
授業が終わり、皆が好き勝手に放課後を過ごす時間帯。俺はただ何もせず学校の中を無心で歩いていた。
毎日通う図書室でさえ行く気になれず、後輩が来ていたら後で文句を言われるんだろうなと考える。
グラサングラサンとふざけた名前で俺を呼ぶ後輩はクソ生意気だが、頭のいい後輩だ。
俺よりも、ずっと。
もし、後輩と同級生だったのなら俺達は交流がなかっただろうとたまに思う。
アイツはきっと凡人には興味を示さない。
たまたま俺が図書室で声をかけて、たまたまアイツの知らないことを知っていて、たまたま年上だったから。そして、たまたま図書室で勉強するような男だったから。あいつにとって都合のいい部分が揃っていたから、勉強を教えてもらうのに適任だと判断されただけ。偶然が偶然を呼んだだけ。
天才は嫌いだ。
俺たちのような凡人の努力を一瞬にして無にしてしまう。後輩や俺の学年のトップ、尊敬できる先生達。
それに…俺の兄貴。
あの人は俺の事をどう見ているのだろう。
いつも考える。あの人の前に立つと、俺はただの無力な人間に思えるのだ。価値のないただのガラクタになった気分になってしまう。
その感覚が許せなくて勉学も運動も、兄の苦手な人間関係も必死になって努力してきた。
なのに、いつまで経っても勝てない。俺は優秀な兄の弟で、ただの凡人。勉強の成績は兄より劣ったままだし、運動も兄の方が得意。人間関係だって兄はその優秀さから様々な人から声をかけられている。
今ではエリートで会社のトップまで昇っている人望が厚い人だ。
何をすれば勝てるのだろう。何をすれば、あの無表情な男の関心を引けるのだろう。どうすれば、兄に認めて貰えるのだろう。
「なっにしてんですか!?」
ぐるぐると回り続ける思考を、取っ払う勢いで聞こえてきた声に我に返った。
どうやら考え続ける思考によって視界が機能していなかったらしい。気づいた時には、後輩が廊下でこちらを向き目を見開いていた。何をそんな驚く要素があるんだ。と呆然と考えて、後輩が霞んでいることに気づく。霞んでいるというよりは何かモヤのような…。
「あぁ。雨か。」
ただ単に思ったことを呟くと、途端に雨の音が強く聞こえ始め、今まで脳に全神経を研ぎ澄ませていたかのように他の感覚が働き始めた。
雨の音、冷たい感覚、視界に映る雫、雨特有の匂い。
どれだけ雨に当たっていたのかは知らないが、服はだいぶ水を吸っていた。
ここどこだろう。庭園かどこかか。
「さむ…。」
「そこまで雨に打たれ続ければ寒くもなりますよ。」
ふわりと肌触りのいい布が頭に被せられ、視界に後輩の顔が映る。薄墨色の瞳が心配そうに歪められて、わしゃわしゃと不躾にも頭を掻き乱された。
「我慢してくださいね。こんな雨の日に外に出る先輩が悪いんですから。」
真っ白なタオルが俺の代わりに水分を吸っていく。
後輩は俺の手を掴むと無理やり庭園から廊下まで連れ戻した。黒い髪が雨に濡れて額に張り付いている。
タオルなんて持ってこないで、放っておけば良かったのに。こんな勉強でしか使い物にならない俺なんか。
「何言ってるんですか?先輩は先輩じゃないですか。」
キョトンと小首を傾げる後輩に、自分の動きがピタリと止まったことがわかった。俺、今口に出したっけ?
「っていうか、先輩自意識過剰ですよ。私別に先輩の手助けなくても課題くらい出来ますし、自分で調べればレポートだって書きますよ。」
呆れたようにため息をついてスラスラと述べられる後輩の言葉を何も言えずただ聞く。自意識過剰。確かにそうだ。この天才に凡人の手助けなどいらないだろう。
「でも、先輩教えてくれるじゃないですか。」
「…あぁ。」
「私、人に教えられた方が覚えるの早いんです。確かに初めは先輩が勉強できるからと図書室で話しかけましたが、今も一緒に勉強やレポートを書くのはただ先輩と話したいからってのもあるんですよ。」
後輩は俺の頭から手を離し、俺のサングラスを顔から取り外した。タオルでサングラスについた水滴を拭き取りながら、後輩は楽しそうに笑う。
「先輩って、自分が思ってるより愛されてるんですよ。口悪いし、ガラ悪いし、たまに怖いですけど、結構優しいとことかウチの寮では密かに評判ですよ?」
ね?だから帰りましょう。
手を差し伸べて笑う彼女は俺と話したいらしい。俺が愛されていることを俺よりも知っているらしい。
驚愕するほどの情報量が処理できず、脳は混乱を招く。そうして目を白黒させている俺を、後輩はクスクスと上品に笑った。
「先輩。明日、もし晴れたなら。その時は今日みたいに庭園を散歩してていいですからね。」
【明日、もし晴れたなら】
8/2/2023, 5:13:29 AM