結城斗永

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「あんた、またフィルター掃除サボってるでしょ」
 リビングに入るなり、姉は開口一番そう言った。
「えっ、バレた……?」
 リビングの床にドサリとカバンを投げ出しながら、私は思わず笑う。
「空気がどんよりしてるもん。大人の嗅覚なめんじゃないわよ」
 姉は部屋の奥まで進み、カーテンと窓を大きく開け放つ。高い位置から陽の光が差し込み、涼しい風が部屋いっぱいに流れてくる。
 
 大学生活も半年が過ぎ、ひとり暮らしにも少し慣れてきた。だけど、この部屋に帰ってきて玄関を開けたときの、あの暗くてしんと静まり返った感じには、いつまで経っても孤独を感じてしまう。
 虚無感の中でベッドに沈み、スマホをだらだら眺めはじめる。すると、すぐに時間は過ぎていき、ため息と罪悪感で次の朝を迎える。それが私の『日常』になりつつあった。
 そんなことを、わざわざ姉に言ったことはないが、きっと姉は全部お見通しなんだろう。
 
 姉は部屋の隅に置かれた空気清浄機のカバーを外す。露わになったフィルターは、予想以上に灰色にくすんでいた。
「ほら、見なさい」
 姉が突き出してくるそれを見て、私は思わず顔をしかめる。
「うわ……ほんとだ……」
 姉がすぐ後ろに置かれた掃除機に手を伸ばしながら言う。
「雑巾濡らして持ってきて。あと、古いハブラシも」
 洗面所に向かう背中から、掃除機が動く音が聞こえてくる。ときおり大きなものを吸い込んだようなゴォという音に変わる。
 私は、引き出しから比較的古めなタオルを取り出しながら、ハブラシはどうしようかな――と考える。

 私が洗面所を出ると、姉はゴミ箱を抱えてキッチンにいた。フィルターはシンクに立てかけられ、掃除機は元の場所に収まっている。
 昨晩からテーブルに放置されたコンビニの包装ゴミが、姉の手でゴミ箱に放り込まれていく。
「いいよ、あとでやるから……」
 私は少し恥ずかしくなって、頭を小さく掻きながら姉にタオルとハブラシを渡す。
「お母さんが見たらきっと発狂するな……」
 と姉が母によく似た小言を漏らす。
「あと、使い古しのハブラシは一本くらいとっときな。思ったより万能だから」
 今朝まで使ってたハブラシを持ってきたのは、姉にすぐバレた。

     ◆
 
「ほら、きれいになった」
 しばらく姉がフィルター掃除と格闘したあと、達成感に満ちた声で言う。
 スイッチをいれると、空気清浄機は明らかに今までより呼吸がしやすいといったように空気をきれいにしていく。心なしかランプの緑色も爽やかに見える。

「ねえ――」姉がベッドに腰を下ろす。「あんた、気分転換ちゃんとできてる?」
「気分転換?」
 私がオウム返しをすると、姉は顎で空気清浄機を指し示す。
「そう。心ってのもこいつと同じで、弱音とか不安とか、ため込んだらすぐ黒くなるんだから。たまには出かけたり、愚痴ったりして入れ替えなきゃ」
 やっぱり姉にはすべてを見透かされている。私は恥ずかしいような、悔しいような――それでいて嬉しいような複雑な気持ちがして、首を横に振りながら視線を床に落とす。
「……もう少し片付けてから、駅前のカフェにでも行く?」
 私が照れながらそう言うと、姉はニッと笑って「カワイイ妹めっ」と言いながら、私の頭をわしゃわしゃ撫でた。

 その後、二人で駅前のカフェに出かけて、ケーキとコーヒーをお供に他愛もない話で盛り上がった。
 こんなに笑ったのはいつぶりだろう。心のフィルターが洗われたように、胸の中に溜まっていた重さがいつの間にか消えていた。

 その日の夜は、なんだか気分がスッキリしていて、スマホに溺れる時間も心なしか短かった。空気清浄機の静かな作動音を子守唄にして、いつもより深い眠りにつく。

#フィルター

9/9/2025, 4:27:07 PM