僕の彼女はよく不思議なことを言い出す。
「明日マジで雨ヤバいよ! 傘忘れないでね、絶対」
それだけを聞けば、朝の天気予報かニュースアプリでも見たのかなと考えて、それで終わりなのだけど。けれど彼女はいつも具体的なのだ。
「三丁目のさぁ、いっつも信号長いとこあるじゃん。あそこのマンホール吹き飛んじゃってさぁ、怪我した人出なくて良かったけど」
そんな風に妙に具体的で、まるで見てきたかのように語り、そして、それは全て事実となる。
「ね、いっつも未来のこと色々教えてくれるけど、超能力? 未来から来た人?」
冗談半分で笑いながら尋ねると、彼女は困ったような、悲しそうな顔で尋ねてきた。
「……信じる?」
その言葉に僕は「マジで?」と心底驚いて答えた。冗談半分だったから、半分は本気だったのだ。僕に馬鹿にするような意図がないと察した彼女の表情は、少しだけ強ばりが緩和した。
「なんかね、先の記憶があるの。それ知ってるとか、聞いたことあるって感じで。忘れてても聞いたら思い出したり」
超能力かはわかんないけど。そう締めくくった彼女の言葉は、確かに『記憶』と言われるとしっくりくる。未来の全てがわかっているわけじゃない。大きな、記憶に残りやすい出来事だけをいつも教えてくれる。僕だって、ただちょっと雨が降っただけの日なんて、いつ何時頃かなど覚えているわけがない。
「じゃあ、僕と付き合ってくれたのも、覚えてたから?」
茶化して、また冗談のように尋ねた。
「……告白されて、その時思い出したから」
彼女は、今度はばつが悪そうに答えた。どうしてそんな顔をするのか、その時はわからなかった。
気付いてしまったのは、付き合ってから初めての、彼女の誕生日だった。
ちょっと驚かせてみたくて、サプライズを計画した。喜んでくれるかな、なんて安易に考えて。プレゼントを差し出した僕の目の前には、喜びながらも、悲しみで泣きそうな顔の彼女がいた。
「……覚えてたんだ」
「誕生日じゃん。覚えてるよ……」
でも、嬉しかったの。ほんとに。耐えきれずに、結局涙は彼女の頬を伝った。
それからというものの、僕は彼女へは小さな幸せを贈ることにした。大きな出来事だと記憶に残ってしまうから、内容は覚えていなくとも確かに幸せだったと思うような、そんな日々を二人で過ごす。彼女は幸せそうに笑っていた。
それでも、どうしたって凪いだ日々だけ過ごせるわけではない。僕はもうひと月も、どうすれば彼女を悲しませずにすむかだけ考えていた。人生の大きなイベントだ、彼女の記憶は鮮明に残っているだろう。どうしよう、本当にどうしようか。そればかりに気を取られ、なにも見えなくなってしまっていた。周りも、彼女のことも。
その日、僕はスマホの前で頭を抱えていた。完全な失態だった。人生の大きなイベント、プロポーズをどうすれば、彼女の記憶に残さず成功させられるかばかり考えていて、予定していたレストランをすっかり予約し損ねていた。交際を始めた記念日に結婚を申し込もうと思っていたのに。
こういったところに拘ってしまうと、彼女の記憶に残ってしまうのだろうか。いや、体質ばかりを気にして無難で平坦なプロポーズに終わらせて、それで彼女を幸せにできるのだろうか。
堂々巡りの中で、スマホのスケジュールをスワイプさせていく。中には大小様々な記念日が記録されていた。彼女のネイルがキラキラしてた記念日、なんてものもある。彼女が未来の記憶に泣いてから、本人も覚えていないような僕だけのヘンテコな記念日を作った。これなら彼女の記憶には残っていないから。こじつけて小さなお祝いすると「バカじゃん」と笑いながら、喜んでくれた。
結局、そのヘンテコ記念日の中からちょっとでもましな日を選ぼうか。そう考えながら、交際記念日は普通にデートをした。するとその日、彼女は終始そわそわし続けていた。今日がプロポーズの日ではないことを覚えているだろうに。思わず疑問が口を突いて出る。
「プロポーズ、今日じゃないよね?」
「そっな、えっ今日からじゃなかったっけ……!?」
驚き、慌てふためく彼女を見て気付いた。そうだ、結婚だなんて大事なこと、僕一人で決めることじゃないんだ。
「ねぇ。きっと聞き覚えのあるセリフだと思うけど、何回でも言わせて下さい。僕と結婚して下さい」
僕にとっては急遽決めたことだから、指輪もなくて、特別な景色でもなくて、彼女の記憶にもあるシーンだけれど。
「これから、会う度ずっとプロポーズするよ。一番気に入った言い方の日でも、聞き飽きちゃった日でも、いつでも。記憶と関係なしに、君が決めた日に返事ちょうだい」
記憶なんて頼らず、君が決めた日がプロポーズされた日だから。「覚えてた?」そっと尋ねれば、過去の記憶と同じように泣いて笑った彼女は、それでも心から喜んでくれた。
2/12/2025, 2:53:32 PM