天津

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遠くの街へ

 電車の窓から見える景色というのはひどくつまらないものだ。ビルも工場も田んぼも山も住宅も、全部どこか青白い表情をしている。歩く人間からも虫けらほどしか意思を感じない。照明に飾り立てられた看板も、作り笑いなだけで血が通っていない。しかし今は、そのよそよそしさが街から遠く離れたことを実感させ、呼吸を楽にするのだった。
 私は故郷を捨ててきた。捨てる理由などいくらでもあった。人は生きているだけで毒を垂れ流すものだ。長く住めば住むほど澱が重なり濁っていくのは必然だった。私はこれ以上は息ができないと思った。だから遠くへ行くことにした。
 立つ鳥跡を濁さず、に照らし合わせれば私は無責任な鳥だった。しかし濁さずに去れる鳥がいるなどということは私には信じられない。そんな鳥はもはや質量が存在しないに違いない。そんな鳥には、存在価値もまた無いに違いない。
 知らない駅の改札を抜けると、知らない人々がビルの根元を往来していた。故郷より随分と人が多かった。多くの人に紛れて歩くと、私は自分の存在が限りなく透明になっていくような気がした。他人との境界が曖昧に溶けていって、私の存在がなかったことになるような気がした。
 私は古ぼけた小さな不動産屋に入って、半年前に女が首を吊ったとかいう安いアパートを借りた。パスタや缶詰など保存の利く食糧を買い込んだ。白い食器ばかり買った。ゴミ箱とゴミ袋を買った。私は最低限の動きに努めたが、部屋にものが増えていくにつれて、空気が濁っていくようだった。この街から出ていくのも時間の問題だと思った。そうして各地を転々としていって、私はいつかどこにも行けなくなるだろう。この国は狭いから。その時は海外へ飛び出すしかない。私は本屋で英会話の本を買った。帰りの電車に揺られながら、私は本のフレーズを口の中で唱える。What’s the purpose of your visit?私はなんと答えるべきなのか皆目見当がつかなかった。

2024/02/28

2/28/2024, 2:32:31 PM