ルー

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 ある日の夕方……。私は、控え室でメイクを整えていた。そこへ……。ドアが開いて、ママさんが顔を覗かせる。
「睦実ちゃん。メイク中、ご免なさい。あなたに、お客さんよ」
「えっ! まだ、開店前ですよね?」
 ママさんの言葉に、キョトンとしながら返した私。しかし……。
「それが……、女の人なのよ」
 その言葉に、何かを思い出した。私は、鏡に視線を戻し、鏡の中に映るママさんに伝える。
「二十分、お待ち下さい。そう伝えて下さい」
「に……、二十分って。そんな!」
 驚くママさんに、私は静かに返す。
「そのくらい待つ覚悟があるから、わざわざ訪ねてきたんじゃないんですか?」
「わ……、分かったわ」
 それだけ返して、ママさんはドアを閉めた。

 二十分後……。私は、メイクや髪型それにドレスを整え、店のホールに出た。隅のボックス席で、ひとりの女が待っていた。半ば忘れていた顔も、その面影が記憶を蘇らせる。
「三鷹睦実……と申しますが。私にご用があるのは、あなた様ですか?」
 歩み寄って訊いた私だが、その前に相手の女は私を睨んでいた。
「私がここに来た理由、分かるわよね? 村野高雄くん」
 私が席に着くと、挨拶もせずに罵りの言葉を吐いてきた相手の女。私は、惚けた表情で返す。
「私の本名は、確かに村野高雄ですが。その前に、どちら様ですか?」
「ふざけるのも、いい加減にしなさい! あなたが中学のときに教育実習でその中学校に行っていた、今井裕子よ!」
 修羅の形相でそう言った裕子だが、私は飽くまでも惚ける。
「はて? どうでしたか?」
 馬鹿にするように返した私だが……。実際、忘れたくても忘れられない。私の想いを、踏みにじったのだから。
「これ、あなたの仕業よね?」
 そう訊いた裕子が、テーブルの上に一冊の本を置いた。それは、アダルト書籍で、頭のお堅い人には、変態の読み物として映る雑誌である。
「これは……、また。変わったご趣味を、お持ちのようで」
「ふざけないで!」
 茶化すような私の言葉を断ち切った裕子が、雑誌のあるページを開いて私に突き付けた。
「これ、あなたが書いたんでしょ?」
 私は、目を通すフリだけした。内容はすべて分かっているし、発売前に雑誌社から一冊頂戴している。つまり……。これは、私が書いたものである。
 タイトルは、『犯罪者の娘.今井裕子』となっている。
 小学校の校長をしている裕子の父親が、汚職事件で逮捕されてしまった。その父親を娑婆に出すために、保釈金貸付業者を頼った。しかし……。その貸付業者は、業界でも有名な高利で貸し付ける業者だった。
 借金を返すために、裕子は性風俗に手を出し、転がり堕ちるように淫乱な牝になっていく。
 ベタな顛末だが……。小学校の校長と汚職事件、それに登場人物の名前はノンフィクションである。
 作者の名前は、『佐倉真琴』となっている。もちろん……。こんな雑誌に、筆名を使わずに投稿するバカはいない。どうせ、採用される訳がない。そう思ったから、書きたいことを思い切り書けた。
「なるほど。面白い内容ですね」
 笑顔で言った私に、裕子は罵るように返す。
「ふざけないで! どうして、こんなことをするの?」
「はて? 私がこれを書いた……という証拠でも? 私には、このような才能はありませんよ」
 そう返した私は、腕時計を見るフリをして、席を立った。
「そろそろ、お店を開ける時間です。私ひとりサボる訳にも、いきませんので」
 裕子に背中を向けたら私は、静かに口を開いた。
「今井先生」
「何?」
「その小説は、ともかく。私は、凄く悔しかったんです。こっちは、勇気を出して告白しました。それなのに……。あんな酷い手口で。人を、ストーカー扱いして」
「あんな昔のこと……」
「あなたには、とうの昔に過ぎ去った過去でしょう。でも……。私には昨日のことのようで、今でも頭から離れません。今、私がニューハーフクラブで働いている理由。あなたには、分からないでしょうね」
 そう言い残して、私はその場をあとにした。

3/10/2023, 6:06:59 AM