もーこ

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ジリリリリ、ジリリリリ。
真っ暗な寝室に、鳴り響くスマホのアラーム音。私は唸るような声を出して、また静かな空間を作り出す。
「……いつもながら……慣れないなぁ…」
寝癖でぴょんぴょん跳ねている長い髪を、軽く手で解かしながら、カーテンを勢いよく開ける。シャッ、という音と共に、真っ暗な空が窓から見える。
現在時刻、午後十一時半。この昼夜逆転は、やっぱり慣れない。私はそのままこじんまりとしたリビングで、支度を始める。
スーツに身を通すと、眠気でだらけていた体が、ピシッと引き締まる。原理は不明だが、毎朝……ではなく、毎晩この原理で助かっている。色々入れたバックパックも背負えば、準備万端だ。
「じゃ、行ってきますっ」
誰もいない部屋にそう声をかけ、外に出る。マンションの5階から一気に階段を駆け下り、駅まで走っていく。改札口を通った時には、その場に座り込んでしまうほど、息を弾ませていた。自転車とかバイクでも使えばもっと早く、楽に済むだろうが、いつもこの通勤方法を使ってる所以、そう乗り換えたくはなかった。
バッと上を見上げ、電車の便を確認する。画面にはただ一つ、おそらく別の言語で読めない駅の名前がぼんやりと映っている。良かった、間に合ったようだ。
ほっとしながら、やっと息が落ち着いたので立ち上がり、また階段を勢いよく駆け下りた。
駅のホームには、ほとんど誰も居ない。せいぜい、顔を真っ赤にし、酔っ払ってベンチで盛大にいびきをかきながら寝てしまい、終電を逃した哀れな中年の会社員が一名いるくらいだった。
「まもなく、電車が到着します……黄色いブロックの内側まで、お下がりください……」
聞き馴染んだそのアナウンスと共に、電車がやってくる。見た目は普通の電車だ。相違点があるとするなら、車掌席の窓は曇って一切中が見えないことくらいだ。
電車はホームに停り、ドアが開く。中に入ると、やはり誰もいなかった。誰にも迷惑をかけなくて済む、と意気揚々としていると、ドアが閉まり、発車し始めた。落ち着いて座席に座り、窓を眺める。ほとんどの民家や店は明かりを消していて、時折見える大きなショッピングモールなどは、明かりをつけ続けている。それか、点々と見える明かりはコンビニだろうか。
そんなことをぼんやり考えながら、じゃ、また後で、とつぶやく。そして、窓に指で線を引く。キュ、キュ、と、自分以外誰もいない車両内に、指で窓を擦るような音を響かせる。
数分ほどで、自社のロゴが描けた。意外と描く量が多いので、時間がかかるのだ。そんな時。
「……合図を…検知しました…行き先を変更します……次は…『███鄉』です…」
やっぱり一部はよく聞き取れないが、上手くいったようだ。窓の景色はたちまち、トンネル内で何も見えなくなる。
トンネルを抜けると、そこには、大自然が広がっていた。初めの時は、どういう原理か不明で、ずっと困惑してたのをよく覚えている。
もうお気づきの方もいるだろう。この電車の便は、一般人にとっては「存在しない」便なのだ。だからこそ、真夜中に電車が走ってても、誰にも不審がられたりしない。まぁ、駅前の会社員は、普通の電車が来ても起きそうにないが。
行き先が途中で変更されたのも、カモフラージュのため。特定の人物が特定のアクションを起こさない限り、行き場所は██鄉にはならず、最寄駅となるのだ。
一度そのアクションを間違えて、思いっきり遅刻したこともあったな、なんて思い出し笑いをしていると、またアナウンスが流れた。
「まもなく…███鄉…███鄉…お出口は…右側です…」
さて、お仕事頑張りますか。そう気合を入れるように、狐の面をカバンから取り出し、顔に装着する。
電車が止まり、女はサッと立ち上がって、カバンを持って下車する。
ふわり、と、名刺が落ちた。
「ブラゴネ・アプリケーション社員 ███ ███
(以下省略)」

9/25/2024, 12:38:04 PM