もんぷ

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またね

 最後の日、自分は確実にまたねって言った。またねって言えば、また会いたいって思いが伝わると思ったから。いつもは目も見ずに雑にじゃあとだけ告げる自分が、わざわざまたねなんて言ったのだから、今世紀最大にデレたんだから、少しは感動の別れを演出できたと思っていた。そしたら、あっちも「もうしばらく会えへんとか寂しいわ。」なんて涙目で手を振ってくれた。そんなんめっちゃ嬉しいやん?当たり前に気持ちを汲み取ってくれたと思っていた。なのに、あれから半年間も連絡すらよこさないなんて何事?

 小学校2年の夏、大阪から転校してきたサラサラの髪の少年とは、驚くことにそこから小学校、中学校、高校、大学と全て同じ進路を辿ってきた。その子が話す関西弁がついうつってしまうほど長い時間を過ごしたくせに、「寂しい」「浮気せんといてな?」なんて甘い言葉をかけてきたくせに、この現状は何だ。というか、浮気なんて以前に、付き合ってほしいとすら言われてないんですけど?それをその人に伝えたら、「だって俺らもう結婚してるようなもんやん?」と笑いながら返してきたので自分から話を流した。本当に、こいつはいっつもそう。まるで恋人に向けるような顔をして好意を仄めかす言葉をかけてくる割に、おちゃらけた態度で決定的な言葉はくれない。だから、いつまで経っても冗談の域を出ない。一度でいい。ただ一言でいいから、その薄ら笑いをやめて真顔で好きだと伝えてくれたら、自分も同じだと言ってやるのに。

 散らかった部屋ではぁ、と大きなため息をつく。そんなことをしても「幸せ逃げるで?」と頭を撫でてくれる金髪野郎はもういない。ふとそいつとの最後の記憶を反努しているうちに気がついた。新幹線の駅まで見送りに来た、彼の最後の言葉。
「もうしばらく会えへんとか寂しいわ。はあ、元気でな。」
またね、って言われてないじゃん。



 なんだか最近具合が悪い。一応仕事はいつも通りこなしているけど、ちょっと集中力が持たない感じ。夜も悪夢ばかり見てあんまり眠れないし、食欲も減った。月に1、2回のいつもの母からの電話で心配されるぐらいには、体調が良くないのが丸わかりだったらしい。最近忙しくて...まぁ、大丈夫!なんて笑ってごまかした電話から一夜あけた今日。土曜だから早く起きなくて良いのに、いつもの時間に目が覚めた。食欲は無いけど何か口寂しくて無印で買ったビスケットをかじる。あぁ、これ...今は思い出したく無い人が好きだったやつじゃん。見た目も全然違うし、得意なことも全然違うのに、いつしか食の好みが似て、趣味が似て、言葉を交わさなくても大丈夫な安心感が生まれていたはずなのに。なんで連絡してこないの。会いたくないの。話したくないの。もしかして、いなくなったらいなくなったで意外と普通にやれてる?あの「やっぱ一緒におったら一番落ち着くわ〜。」は嘘だった?それか、誰にでも言える感じ?自分と違って社交的だったもんね。大学入って髪染めた途端にぐっとその見た目のチャラさもかっこよさも増したもんね。もしかして、あの「浮気せんといてな?」はもう違う子が言われてる?自分みたいにはいはいと適当に受け流すんじゃなくて、純粋に照れたり、そっちも浮気しないでよなんてかわいく返せてる子がいる?ねぇ……本当にあれは冗談だったの?

 スーツで疲れた顔をした自分の目の前に来たあの長身は、アイドルみたいな顔をした子の肩を抱いて言う。「え、まさか本気にしとったん?いやいや、ちゃうやん。俺らやで?」なんていっていつもみたいにその綺麗な顔で笑う。最近よく見る悪夢。起きている時までその夢に苦しみたくない。なのに、口の中の優しいビスケットの味がわからなくなるほど涙が止まらない。ぼたぼたと重力に逆らって落ちては着替えるのも億劫だったグレーのパジャマの色を変える。

 その時、玄関の鍵が開いた。そのドアを勢いよく開けた本人は、自分を見るなり顔を顰めた。
「元気でなって言ったやん。」
靴を脱いでずかずかと歩いてきては、まるで場所を知っていたかのようにテーブルの上のティッシュを取り出してちょっと強めに自分の目の周りを押さえる。その遠慮のない力加減は夢でないことを嫌でも分からせた。自分よりも悲しそうな顔をしているこの人の前で泣いたのは何年ぶりだろうか…なんて考えながらそっと自分よりも上の位置にあるサラサラの黒髪に触れた。
「なんで…」
「当たり前やん。そっちだけ就職な訳ないやろ。俺やって頑張ってんねん。」
ブリーチを四年間続けていても傷んでいない髪は、窓から差し込んできた日差しを受けてその綺麗さを主張していた。
「てか、そっちやってこんな時間に起きてるなんて思わへんかった。」
あぁ…確かに。いつも大事な用事の時は朝が強いことだけが長所だと言うこの男に電話をかけてもらっていた。社会人になって自発的に起きるのを強制させられるようになってからは、夜どれだけ寝るのが遅くても大体間に合う時間に目は覚めるようになった。会っていない間に変わったのは、二人とも一緒だったのだ。
「なんで来たの?」
「お母さんからLINEもらってん。体調悪そうで心配や〜って。そんなん行くしかないんやん?」
実家に預けていたはずの合鍵を見せびらかすように揺らした人は、そう言って顔にはいつものあの笑顔を浮かべた。自分は、願うようにその声を絞り出す。
「…なんでよ。」
今だ。今言ってくれたら許すから。お願いだから、今…
「そりゃ、好きやからに決まってるやん。」

8/7/2025, 9:31:24 AM