G14(3日に一度更新)

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142.『現実逃避』『遠くの街へ』『欲望』



 『桜の樹の下に死体が埋まってる』って話、知ってるかい?

 桜があれほど妖艶な花を咲かせるには理由がある。
 それは、木の下に死体が埋まっていて、その養分を吸い上げているからだ。

 ――っていう与太話だ。


 ああ、そうさ。
 これは嘘の話。
 元ネタは、昔の小説の書き出しなんだ。
 ものすごく衝撃的な冒頭だから、このフレーズだけが独り歩きしているけれど、本当に埋まっているわけじゃない。

 そもそも、その小説の中でも死体は存在しないんだ。
 けれど、そう思わなければ、桜の美しさを理由がつかない、信じられない。
 いつも不安に苛まされた男が、死体が埋まっていると思い込むことで、ようやく桜の良さを認めることが出来た。
 そういう話なんだ。

 これからするのも、そんな話。
 『桜の樹の下に死体が埋まってる』。
 そう信じたい男の話さ。
 

 ――あれは一年前のこと、ちょうど今ぐらいの時期、桜の綺麗な季節。
 ある男が、付き合っていた彼女を殺して埋めた。

 きっかけは些細な口喧嘩だった。
 それが売り言葉に買い言葉で、どんどん激しくなって、殴り合いの喧嘩になったんだ。
 頭に血が上った男は、彼女を突き飛ばしたんだけど、打ち所が悪かったのだろう、血が勢いよく噴き出して、彼女は死んでしまった。

 男は焦った。
 『このままでは殺人で警察に捕まってしまう』と。
 自分勝手な考えだけど、まあ人間なんてそんなもんさ。
 予想外のことが起きれば、自分の保身のことしか頭になくなる。

 さて、男は自身の身の安全のためにその場から離れたかったが、一つだけ、やらなければならないことがあった。
 死体を隠すことだ。

 『死体の発見が遅れれば、その分逃げ切りやすくなる』。
 そう思った男は、彼女の死体を埋めることにしたんだ。
 桜の樹の下に……

 合理的な判断があったわけじゃない。
 だが、男にとって、そこに隠すのが自然の様に思えた。

 『桜の樹の下に死体は埋まっている』。
 ――ならば、彼女の死体が埋まっていても、たいした問題にはならないだろう。
 そう思ったんだ。

 きっと現実逃避でおかしくなっていたんだろうな。
 その時の男は、それが唯一の正解だと信じて疑わなかった。

 彼女を埋めた後、男はすぐに電車に乗った。
 目的地も決めず、電車を乗り継いで遠くの街へ。
 適当なところで降りて、野宿をしたり空き家で寝泊まりして過ごした。

 男はいつも怯えていた。
 いつ警察がやってくるか、いつもビクビクしながら背後を気にしていた。
 二日と同じ場所に留まらず、各地を転々とした。
 その道中には風光明媚な景色も、賑やかな繁華街もあった。
 だが、そのどれも男の心に安らぎをもたらすことはなかった……

 そして翌年の四月、再び桜の季節がやって来た。
 男は未だ警察に見つかっていなかった。
 では、一年間警察から逃げ切ったことで、男は平穏を手に入れただろうか……

 ……いや、男はもう限界だった。
 あの日から、人を殺した罪悪感に苛まれ、心身ともに衰弱していった。
 そして、満開の桜を見て、ようやく決心した。
 『もう、楽になろう』と……

 ――そうです、お巡りさん。
 お判りのことだと思いますが、その男と言うのは俺のことなんです。
 彼女を殺したショックで日本各地を逃げ回り、耐えきれなくなって自首しました。
 どんな罰も受けます。
 嘘はつかず、知っていることは全部話します


 ……ですからお巡りさん、『俺を迎えに来た』と言う彼女を追い払ってください。


 彼女が生きているはずがないのです。
 だって、本物は俺が殺して、桜の樹の下に埋めたんですから。

 たしかに『あれは夢だった』と思いたい気持ちはあります。
 ですが、それは俺の卑怯な願望であり、欲望なんです。
 絶対に、俺が彼女を殺しました。
 そこに嘘はありません。

 彼女を突き飛ばした手の感触、周囲に飛び散った血の匂い、土の冷たさ、血の気の失せた彼女の顔、全て鮮明に覚えてます。
 だから彼女が生きているはずがないんです。
 あそにいるのは化け物だ。
 どうか、あのニセモノを追い払ってください。

 信じられないなら、あの桜の樹の下を掘り返してください。
 そうすればすべてが分かります。

 桜の樹の下に死体が埋まっている。
 俺が殺した、彼女の死体が。
 そう思わなければ、気が狂ってしまいそうだ。

3/8/2026, 11:31:28 AM