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「夏」

季節がめぐるたびに忘れようと思うのに記憶は不可解。忘れたいことは忘れられないのに、覚えておきたいことはするするとこぼれ落ちる。

昔の街道沿いを歩く。古い記憶をたどってあの場所を探す。道祖神、月待塔、百庚申、道標。似ているものはあるのに、決定的に何かが足りない。

もう忘れてしまいたい。幾代か前の前世の、夜盗に身ぐるみ剥がされ斬殺された記憶。石のそばだったのだ。葬ってくれた人はいただろうか。ぷつりと途切れた記憶の糸を手繰り寄せても、それ以上は思い出せない。そこで命が尽きたのだから。

月のない夜だった。星が降ってくるようだった。
「南無阿弥陀仏」
と言えただろうか。言えなかったなら今の私が言ってやる。どこだ?その場所は。

探しても探しても見つからない。なぜその記憶だけが残っているのかもわからない。幸せだった前世もあっただろうに。

足りないと思っていたことがわかった。闇だ。夜でなければ見つかるわけがない。でもそれは不可能だ。その記憶のせいで夜が怖い。

「夏は夜」と清少納言は残した。夏の夜が美しいと思えるのは幸せだ。そう感じた夏の夜の記憶は残っていない。

そして今日も昼間の街道を歩く。石に出会うたびに「南無阿弥陀仏」と唱える。もう遅いか。

6/28/2024, 11:43:57 AM