例えば朝、いつもの時間に目覚ましの鳴らないのを不審に思い、同居人を起こしに行くこと。それが大いなる愛でなくてなんだというのか。
「うるさいなぁ、今日休みなんだから寝かせてよー」
例えばバスの中で、同じ停留所で降りる素振りを見せている親子連れの子どもがブザーを押そうとしているところを黙って待っていること。それが大いなる愛でなくてなんだというのか。
彼らよりも前に座っている乗客が知らずにブザーを押してしまう。子どもは目に涙を浮かべはじめる。
例えば少年がサッカーの試合でペナルティキックを外してしまったとき、泣き崩れる少年に手を差し伸べて「また次、がんばろうね」と言って抱きしめること。それが大いなる愛でなくてなんだというのか。
「もういい、サッカーなんかやめる!」
例えば都会の真ん中で、大柄な男たちに絡まれている女性を見て「僕の連れに何してるんですか?」と言って女性の腕をつかんで走り去ること。それが大いなる愛でなくてなんだというのか。
「ちょっと、放して! 腕つかまないよ!」
しかしながら人類は、この大いなる愛を受け止める術を誰もが身につけているわけではない。大いなる愛は世界にあふれていて、わたしたちを……
「ちょっとアンタ! いつまでこんなくだらない文章をタラタラ書いてるの! 少しでもわたしに愛があるなら、いますぐ金になる仕事取ってきてちょうだい!」
大いなる愛を受け止めることがどれだけ容易かということを、人類が知るのはまだ先のことなのかもしれない。
4/23/2025, 3:08:46 AM