「誰もいない教室(創作)」
誰もいない教室に、夕陽が射し込んいる。生徒を送り出した机の上には光と影が静かに揺れ、時だけが止まったようだった。
「やっぱり、ここにいると思った」
ドアを開けると、僕の席に座っている紗希が振り向いた。
「あ、拓海」
「鍵、閉められる前に出ないと、先生にまた怒られるぞ」
「最後くらい、いいじゃん。ここ、好きだったから」
「……俺も」
ぽつりと漏れた言葉に、少しだけ心がざわつく。今日、この教室に来ると知っていた。卒業式のあと、最後に紗希が“あの席”に座りに来ることも。
なぜかって?
——三年間、俺はずっとあの子を見てたからだ。
「思い出すね、いろいろ」
窓の外には、咲きかけの桜。その先にある校門。ここでの日々が、すべて昨日のことみたいに思い出される。
「バカみたいに笑って、喧嘩もしたし。テスト前に泣きそうになって、分からないところ教えてもらったの、今でも感謝してんだからね?」
「そのあと、俺が赤点だったけどな」
「そうそう、ほんとごめん!」
二人で笑い合う。いつもの距離。いつもの呼吸。…変わらない。ずっと。
でもさ紗希…変えたくて、変えられなかった時期があったんだよ。
去年の12月、紗希が風邪で寝込んで、心配で家までプリント届けた事があった。あの時さ、笑って「ありがと」って言われた瞬間、胸の奥がドクンって鳴ったんだよ。
そん時…《好きだ》って気づいた。
でも、その気持ちを言葉にすることが、すべてを壊してしまう気がして……
もし気まずくなったら。
もし距離ができたら。
毎日、隣で笑ってるこの時間がなくなるかもしれないって思ったら、怖くて
何度も伸ばした手を引っ込めてたんだ。
「拓海はさ、卒業しても変わんない気がする。なんかこう、ずっと“拓海”って感じ」
「……悪口か?」
「ちがうって。安心する、って意味」
そう言って笑う彼女に、言いかけた言葉がまた喉の奥に沈む。
卒業の日に言う勇気なんて、やっぱり俺にはなかった。
「なあ、紗希」
「ん?」
「…またさ、たまには会おうぜ。意味もなく」
「うん、会おう。意味なんていらないじゃん、私たち」
その言葉に、少しだけ胸が痛む。
“意味がない”からこそ、永く続いた関係。
“意味があった”ら、きっと壊れてた。
教室を出るとき、もう一度だけ振り返った。夕陽が差す教室の中に、三年間の記憶が浮かんで見えた。
——結局、俺は何も言えなかったけど。
それでも、好きだったことに嘘はない。
きっと、これからもずっと。
でも、それはもう、心の中だけにしておく。
9/7/2025, 12:31:45 AM